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2012年度優駿エッセイ賞落選作品 テレビじゃ見れない帯広劇場

12/9/26

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2012年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(8年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。昨年に続き今年も優駿10月号の時点で1次選考落ちを確認できたので8年前より1ヶ月早く公開できます(苦笑)。

テレビじゃ見れない帯広劇場

 旅をしながら各地の公営競技場に足を運んで勝負をすることを「旅打ち」と言う。その歴史は意外に古く、戦前には行われていた。むしろ戦前が全盛期だったという考えもあるぐらいだ。当時は競馬以外のギャンブルも無ければ競馬にしても場外馬券売り場も無く、馬券を買うには競馬場まで出かけていく必要があった。自宅付近に競馬場が無ければ必然的に遠方に出かけていくしかなく、また、自宅の近くの競馬場で開催が行われていない時期はやはり遠征することも多かっただろう。
 戦後になって競馬以外の公営競技も増え、また、場外売り場も徐々にオープンしていった。そして、今ではインターネットと銀行の口座さえあれば馬券が買える時代である。レース観戦も中央ならグリーンチャンネルに入れば全レースが自宅で観戦可能であり、地方競馬ではインターネットで無料中継が行われている。わざわざ遠征に行かなくても自宅にいながら競馬が楽しめる時代となった。
 しかし、そんな時代でも旅打ちの魅力に取り憑かれる人間が少なからずいる。私もそのうちの一人だ。府中市内に住んでいるのだから週末は一年の半分ぐらい自宅の近くの競馬場で競馬が行われているし、ネットとテレビを駆使すれば自宅にいながら競馬に参加できる。しかし、わざわざ遠くの競馬場まで遠征してしまうのである。戦前の旅打ちは「打ち」のためにやむを得ず旅をする感じだが、現代では「打ち」だけなら自宅でもできる。現代の旅打ちは従前より「旅」の要素がより強まっている。パソコンやテレビの前にいるだけでは決して味わえず、また、近隣の競馬場に出かけるのとはまた一味違った楽しみや発見を求めて我々は旅に出るのである。
 この様に「打ち」だけではなく「旅」の方も重要なのが現代の旅打ちである。競馬場の近くに都合良く観光に相応しい場所があればいいのだが、日本には競馬場自体が観光地となっている競馬場がある。帯広競馬場だ。須田鷹雄氏の著書「いい日、旅打ち。」の中でもその様に紹介されている。競馬場に行くだけで「旅」と「打ち」の両方を満たすことができる素晴らしい空間がそこにはある。

 昨年の優駿エッセイ大賞受賞作のタイトルは「十勝の広い空の下で」というものであった。タイトルを見てばんえい競馬に関して書かれたものと思って読んでみたが、ばんえい競馬やばん馬は全く登場しなかった。大賞を受賞した作品だけあって牧場主であった作者のサラブレッドに対する情熱が伝わってくる素晴らしい作品であるし、十勝はサラブレッド等の軽種馬の生産も行われていて、かつては帯広競馬場でも軽種馬による競馬が行われていたのであるが、現代では私のような道外の競馬ファンが「十勝」という言葉から連想するのはばんえい競馬であろう。
 ばんえい競馬は平地競馬よりもずっと観客と馬が一体化した競馬であり、モニター越しで観るより生で観た方がずっと魅力的だ。平地競馬の様にレースのほとんどをモニターで見ていて馬群が一瞬だけ目の前を通り過ぎていく競馬よりも、スタートからゴールまで馬が目の前にいて、競走馬を身近に感じることができるばんえい競馬は、より生で見る価値がある。
 かつてロッテオリオンズが川崎に本拠地を置いていた時代に「テレビじゃ見れない川崎劇場」というキャッチコピーを使っていたが、ばんえい競馬こそテレビじゃ見れない、というよりテレビじゃ真の魅力が伝わってこないという表現が相応しいのではないだろうか。モニター越しではあの迫力、あの感動は絶対に伝わってこない。現地で生で見るのが非常に価値のあるのがばんえい競馬である。もちろん平地のサラブレッドのレースもテレビやネットで観るよりも現地で生で観戦した方が良さいが、ばんえいの場合はその差は非常に大きなものである。

 私が初めてばんえい競馬を観戦したのは北海道旅行中に立ち寄った岩見沢競馬場。岩見沢駅で列車を降りると巨大なばん馬の像が設置してあり、ばん馬と一緒に歴史を刻んで来た街であるということを物語っていた。
 しかし、その岩見沢も今では廃止されてしまった。岩見沢だけではなく、北見、旭川も同時期にばんえいから撤退し、今では帯広だけとなってしまった。岩見沢を訪れた時は、地元のばんえい競馬に対する力の入れ様がひしひしと伝わってくるまさにばん馬の街といった雰囲気だったので、岩見沢だけは最後まで続いていくのだろうと思っていた。ところが、北見、旭川両市が撤退を表明して帯広と二箇所だけだと厳しいということで同時期にばんえいから撤退してしまった。だが、ちょうどその年に東京国際映画祭で4冠を獲得し、馬事文化賞も受賞した映画「雪に願うこと」の舞台である帯広では存続することとなった。話題の映画の舞台である帯広競馬場をそのまま廃止するには忍びない。むしろ、観光の目玉として売り込んでいこうという帯広の人々の意気込みが感じられる。

 その帯広単独開催決定後のばんえい記念の日に帯広競馬場を訪れてみた。それが私の帯広初訪問である。帯広競馬場で行われはするものの、最後の四市開催である。
 スタンドに腰をかけていると隣に座っている地元民のおっさんに声をかけられた。「今日はばんえい記念あるから客は入ってるけどな。いつもはもっと客が少ないんだよ。馬券は売れないしこんなに賞金が安いのなら馬主も大変だろう。」ばんえい競馬の実情を語る生々しい言葉である。「帯広だけだと面白くない。岩見沢とか北見などいろいろなコースがあってそれぞれに特徴があるから面白いのだ。毎日同じ場所で同じようなメンバーばかりでやっていてもつまらない。」もの凄くうなずける内容である。「岩見沢以外の3市が無くなると寂しいだけならまだしも、非常につまらなくなるだろうな。帯広はゴールをもっと移動した方が最後に坂ができて面白いだろう。市長にもそう言ってあるのだが『検討します』だけで実現は薄い。」市長に直談判できるような存在らしい。「ナイター競馬をやらないと昼間働いている若い働き盛りの客はなかなか来れないよ。旭川でもやってるんだから帯広でもできるはずだよ。俺のような年金暮らしの爺さんばかり来ても百円二百円しか買わないんだからしょうがないんだよ。もっとあんたみたいな若い人がいっぱい来ないと。」
 ナイターに関して言えば帯広単独開催となった2007年に設備が完成し冬季以外はナイターで開催される様になり、ゴール前の坂も2011年よりゴール前に砂障害と呼ばれる坂を設置してゴール前の攻防がより面白いものとなった。一市単独開催となってから、ばんえい競馬全体としてはともかく帯広競馬としては確実に魅力的なものとなっている。
 ばんえい競馬では最下級の場合約500kgの重量のソリを曳き、クラスが上になるにしたがって重くなっていくが、ばんえい競馬の最高峰ばんえい記念では1000kg、つまり1トンのソリを曳く。それだけの重量を曳いて競走するのだ。下級条件戦と比べてもスピードがあるわけではない。確かに、最も速くゴールした馬が勝者となるレースではある。しかし、ばんえいの魅力は「速さ」ではなく「力強さ」だ。通常のレースでは最初の坂は難なく越えることが多いが、1トンを背負うばんえい記念ではそこですら息を入れている。息を入れる場面が多く駆け引きも重要なのである。人馬一体とはまさにこのことだ。

 その時のばんえい記念を勝った馬はトモエパワー。その瞬間馬単が的中したと思いきや、鼻先は2番手にゴールを通過したミサイルテンリュウがゴール板通過中に止まってしまい、3番手にいたシンエイキンカイのソリの後端がゴールを通過するまで動かなかった。ばんえいは曳いているソリの後端がゴール板を通過して初めてゴール。2着争いは最後に大逆転の末、私の馬券も紙屑となった。この様な激しい攻防もばんえい競馬の醍醐味である。もちろん馬券は当てたかったが。
 トモエパワーはその後もばんえい記念を勝ち続けばんえい記念三連覇を飾った。重い斤量を背負うばんえい記念が得意な、文字通り「パワー」の秘められた馬だ。
 それから5年後のばんえい記念の日、私は再び帯広競馬場に居た。競馬場には十勝の名物料理やお土産などを売る売店が集まったとかち村が併設されるなど以前にも増して観光地色が強まっていた。そのばんえい記念には12歳となるトモエパワーも出走していたが、明らかに頭数合わせのために出てきた馬にすら勝てずに最下位に終わる。しかし、トモエパワーがゴールした瞬間場内から暖かい拍手が沸き起こった。往年の力は全く出せなかったが、12歳という高齢で1トンの重さのソリを曳いて完走した。それだけで拍手を贈るに値する。勝ち馬が決まった瞬間よりも最後の馬がゴールした瞬間が盛り上がるのはばんえい記念ならではである。これだけの感動を与えられるレースは他にはないだろう。

 ばんえい競馬は単なる自治体の資金集めの場ではなく、北海道遺産にもなっている文化である。今後も存続して多くの人にその魅力を知って欲しい。競馬自体の売上だけではなく帯広の観光の目玉として地元に貢献していくべきだ。競馬場自体が観光地である稀有な存在であり、また、馬と共に歩んできた開拓の歴史を伺わせる競走形態に北海道という場の作用もプラスになっている、旅打ち派には打って付けの場所なのだから。


[あとがき]
 今年も昨年に引き続いて旅打ちネタとした。昨年の大賞受賞作のタイトルを見てばんえい競馬のことが書かれていると期待して読んだら、軽種馬のことだったので、だったら私がばんえいのことを書こうかと思ってばんえい競馬のことを書いてみた。

 ちなみにタイトルは最初に考えたのではなく、書き進めているうちにそういうフレーズがしっくり来る様な内容となったので、かつてとあるプロ野球チームが使ってたキャッチコピーをパロった様なタイトルとした(笑)。


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