GW放浪記’99


プロローグ
 ゴールデンウィーク。5/2には京都競馬場で天皇賞がある。しかも平日である筈の4/30に有休が取れた。こりゃせっかくの連休だから関西に遠征するしかないでしょ。というわけで連休中は放浪の旅に出ることにした。

 しかし、そう決断したのが4/25頃。連休直前なので切符が取れるかどうか不安だったが(自由席だと滅茶苦茶混みそうだし)、どうにか行きも帰りも京都までの新幹線の指定席が取れた。ちなみに5/3夜から南足柄の親戚の家(箱根登山鉄道沿線にある)に泊まりこむ予定なので、帰りの切符は小田原まで手配した。

 土日は競馬。月曜は晴れたら飛鳥・橿原方面でレンタサイクルを借りてサイクリングでもする予定である。雨降ったら臨機応変に考えよう。

4/30
 この日は午後に出発。というわけで午前中は旅の準備をしていた。土曜の夜は天皇賞当日の場所取りと宿泊費節約のため京都競馬場前で野宿をする予定なので鞄にシュラフを突っ込む。

 そして家を出て新横浜へ向かう。新横浜の駅ではちょっと時間があったので横浜名物の崎陽軒のシュウマイを食べる。私は上京して今年で8年目(うち2年間は神奈川県)だが崎陽軒のシュウマイを食べたのはこれが初めてのような気がする。いや、東京に来て1年目に横浜球場に野球を見にいった時に食べたかも。よく覚えていないが。崎陽軒の肉まんなら何故か良く食べるのだが。

 そして新幹線で京都へ。京都へ着いたらすでに夕方。京都駅の地下街をぶらついていたら京風らーめんという店を見かけたので入ってみる。日本にはラーメンの名所は数々あるが、京都は別にラーメンが美味いという話は聞いたことがないぞ。取り合えず白湯麺を頼む。関西らしくそれほどしつこくない味だが、「京風」を感じさせるのは派手な色した麩のようなものが入っていたことぐらい。

 飯を食ったあとの問題は、「今日はどこに泊まるか」ということである。先に書いた通り次の日の夜は野宿 する予定。ということはここでサウナの仮眠室とかに泊まったら体が持つだろうか?ここは満を持してちゃんとした宿に泊まったほうがいいかもしれない。ここで体調崩したら当たるはずの馬券も外れるかもしれないしね(笑)というわけで、この日はゆっくりホテルで休むことにする。多少金がかかるが、土日の競馬で勝てばなんの問題もない。土日の競馬で負けた場合は・・・いや、そういう考えはよそう。勝てばいいのだ。

 ちなみにPATインストール済みのノートPCを持ってきたので,、気が向いたらPATで関東のレースを買おうと思い「馬三郎」(今年の3月から発売されている開催全場全レースの情報が掲載されている競馬新聞)を探したら売ってなかった。関西では売られていないらしい。東京地区限定なのかな?こないだ甲府に行った時に立ち寄ったコンビニでも、他の競馬新聞は置いているにもかかわらず馬三郎はなかったし。まさにPAT会員向新聞といった感じなので東京だけではなく全国で売っていてもよさそうなもんだが。

5/1
 今日はいよいよ京都競馬場に行く日。だが、その前に腹ごしらえだ。泊まったホテルの朝食がバイキングだったので、食えるだけ食う。朝食のために1500円も払ってるんだし。夜の野宿に備えてここで栄養を付けておいたほうがいい。ただし、昼飯は抜いたのだが(笑)

 そしていよいよ競馬場へ。淀駅で降りて人の流れについていくと、競馬場へ着く。この時点ではまだ入り口に泊まりこみ客は陣取っていなかった。行きの電車の中ではシュラフを持っている人を2,3人見かけ、彼らは淀駅で降りた筈なのだが。たぶん私と同じく土曜の競馬が終わってから陣取るのだろう。

 馬券のほうは昼休みの一つ前の障害未勝利から始める。枠連で一点買いしたら見事に的中。幸先いいぞ。ただ、オッズを見て馬連より枠連のほうがついてたので枠連で買ったのだが、最終的なオッズは馬連のほうが付いたんだよな。

 昼休みになるとPHSに電話が。あさりんまっくんご夫妻の登場である。午後は3人で競馬観戦。午後もどうにかそれなりに順調で、この日はプラス15000円ぐらい。まあ、私の場合土日連続で競馬にいくと土曜日に稼いで日曜日に全部使ってしまうのがいつものパターンだが。

 そして最終レース。サクラモラン(母の名前モランボン)といういかにもさくらコマースが所有してますって感じの馬が人気になっていた。ちなみにモランボンというのはさくらが経営する焼肉屋の名称である。こないだ府中でさくらコマースに儲けさせてもらったので(競馬ではなくパチンコで)、この馬を買おう。と思って馬券を買ったらスタート直後にサクラモランが落馬。そして19万馬券が飛び出した。そしてあさりん&まっくんは・・・これ以上は「内密にするように」といわれたので書かないでおこう。と思ったがあさりんのページの日記に書かれているので書く。本人の手で全世界に公開されていることなのでここで書いても問題はないだろう。あさりん&まっくんは「誕生日馬券」ということで馬連3−10(19万馬券)を2人揃って買っていたのだ。2人とも信じられないというような様子だったな。私の今日の収支はプラス15000円程なのだが、それが霞んで見える。

 非常にドラマチックな展開で最終レースが終わり、いよいよ宿泊準備である。宿泊といっても京都競馬場の門の前で野宿である。去年のダービー以来生涯2度目の泊まりこみ競馬である。といっても私は大学時代ワンゲル部だったので無人駅や札幌駅の軒下などいろいろな場所でシュラフに包まって寝たことがあるので、変なところで寝るのは慣れているのだが。最終が終わってから場所取りをしたため、結構人がいた。メインが終わった後すぐから並び始める人が多いのかな。

 とりあえず列の後ろのほうに新聞紙を敷く。そこで19万馬券を的中させた2人とは別れた。とりあえず新聞紙の上で、筒状に丸めて収納してあるシュラフを枕代わりに寝転がっていると、1時間ほど前に2人合計で私の月収を遥かに上回る額を馬券で稼ぎ出した夫婦が銀マットを差し入れてくれた。これで硬いアスファルトの上に薄っぺらな新聞を敷いただけの上で寝ずにすむ。非常に気の利いたプレゼントだ。ありがとう!!

   そして6時。京都競馬場のお客さんがすべて出払った時刻だ。この時、通路に陣取っていた徹夜組は門のまん前に移される。もしこのとき買い物などで場所を離れていたら、列の最後尾まで下げられてただろう。まあ、場所を離れることはしていなかたので無事門の近くに場所を確保できた。こういうこと(移動)があるなんて知らなかったな。油断は禁物だ。競馬場前に泊まりこむのは去年のダービーの日に東京競馬場で経験済みだが、その時は夜9時ごろにいったので、こういう競馬場閉門後の措置があるなんて知らなかった。

 というわけで場所が決まったので安心して「席を空ける」ことができる。だからコンビニで夕食&日曜日の新聞を買ってくる。コンビニ弁当を食べながら新聞を読み、寝ることにする。睡眠薬代わりにワンカップの酒を飲みながらシュラフにくるまる。こういう時は日本酒に限る。洋酒だと飲んだ瞬間から酔い始めてすぐに醒めてしまうが、日本酒だと飲んだ瞬間はあまり酔わないがじわりじわりと効いてくるところがよい。洋酒は即効性だが、日本酒は遅効性の毒のようなものだ。寝場所の屋根に電気がついていてまぶしいので、持っていた帽子を深被りして目隠し代わりにして横になる。20人ぐらいの集団が夜通し騒いでいて五月蝿かったのであまりよくは寝れなかった。係りの人が「線路の向こう側は民家なので(門の真向かいを線路が走っている)、酒を飲んで騒いだり等近所迷惑なことはしないで下さい。」といってたのにそんなことはお構いなしであるらしい。常識のない連中もいるもんだな。そんな輩がギャンブル場建設反対運動を起こさせる原動力になっているに違いない。

5/2
 朝目覚めるとさすがに寒い。寒いから開門直前の時間までシュラフに包まっていた。そして荷物をまとめて入場券券売機に並ぶ。7時半に開門と同時に入場券の発売が開始され(一般入場券はすべて当日発売の筈なのだが招待券を持っている人々はこの時点で券を買わなくても入場できた)、入場券を購入後いよいよ入場口をくぐる。入場後すかさずレープロを手に入れあとはひたすらダッシュ。ほとんどすべての客がダッシュしているのでまるで早送りしながら再生しているビデオを見ているようだ。私も特に意思があって走ったわけではなく、反射的に走ったという感じだ。そして、徹夜で並んだ甲斐があって、ゴール板のほぼ正面の椅子付きの席を2つ確保できた。ちなみに私の隣の席には場所の確保用に馬三郎がおいてあった。馬三郎は関西では売っていないらしいので、その席を確保した人も私と同様関東から遠征に来たのかもしれない。実は前日府中に遠征に行っていた関西人だという可能性もあるが。何故か、馬三郎で席を確保した彼は、その後席に現れなかったが。

 そして競馬場で朝飯としてヤキソバを食った後、前日の当たり馬券を換金し軍資金を調達する。準備万端。あとは勝つだけ(笑)。勝つということが最大の難関なのかも知れないが頑張ろう。

 まず、始めに天皇賞の馬券は買っておく。ステイゴールドから3強へ2000円ずつ流す。ここまでは予想のページにも書いたが、更にマチカネフクキタルが来たら悔しいのでステイゴールド−マチカネフクキタルも500円だけ押さえておく。昨日の障害レースでJRA通産500勝を達成し、私の馬券の的中にも貢献した熊沢重文(ステイゴールドの主戦)。今日も俺のために頑張ってくれよ。

 でもって、レースである。当然のように第一レースから馬券を買い始める。午前中は一喜一憂といった感じでプラマイゼロだった(正確にはプラス150円ぐらいだが、そんなのは誤差のようなもんだな)。

 昼休みに土曜日を含めての収支を収支計算をしてみる。すると、すでに馬券を買っていた天皇賞を除く各レースにつぎ込む金額を1500円以内に押さえると最悪の場合でも土日の収支がほぼゼロ(150円ぐらい浮くのだがそんなのは誤差)になることが判明。というわけで午後は1レース平均1500円を越えないように買う。

 昼休みには柿の葉寿司を食べる。今回京都に来てから最も京都らしい食べ物である。京都名物柿の葉寿司を食べて気合を入れたのだが、全然あたらない。寿司(やその他の食べ物)には中らなくていいのだが、馬券は当たって欲しかった。

 午後からは運竜が合流。2人分席を確保したのは彼がやってくる予定だったからである。朝からかなり混んでいたが、午後になるとかなり混んできた。今年はスタンドの一部が改修中なので例年にもましてお客さんの観戦できるスペースが少ない。それでも入場人員は多いのでかなりの人口密度である。それでも運竜は天皇賞のパドックを見にいって、その後馬券を買い、人ごみを掻き分けて席に戻ってきた。さすがに、昼ごろに起きた人間は元気である。徹夜の私にはそんな元気はないのでその間ずっと席から動かなかった。

 そして天皇賞。本場馬入場の時に武豊が騎乗のスペシャルウイークがスタンドの方に顔を向け内ラチ沿いを横にあるいていた。馬の前に陣取っている観客から大歓声があがる。武豊は去年の毎日王冠(確かその時も運竜と一緒に生観戦してたんだな)でもサイレンススズカで同じことをしていた。馬は非常に臆病な動物 なので、そういうことをすれば怖がったり入れ込んだりするものだと思うのだが何故そういうことをするのだろう?大歓声に慣れさせるためなのだろうけど。

 そして、心地好いファンファーレが鳴り胸クソ悪い手拍子が鳴り響き、天皇賞のスタートが切られた。セイウンスカイがいくのは想像がついたが、スペシャルウィークが思ったより前からいく。入れ込んでいるようにも見えた。スペシャルの騎手武豊からすれば菊花賞で逃げ切られたセイウンスカイには負けたくないという気持ちが強かったのだろう。セイウンスカイをマークするようなレース運びだった。そして、最終的にセイウンスカイを追い抜き、メジロブライトの追い込みも交わして見事にスペシャルウィークを勝利に導いた。2着メジロブライト。スペシャルがセイウンをマークしていたので、ここで漁夫の利で勝利を得たかっただろうが惜しくも2着だった。3着は3強の中のもう一頭セイウンスカイ。複勝を含めすべての馬券が堅かった。今日は万馬券続出の日だったが、これだけは堅かった。我が本命はシルクジャスティス(結局2年連続4着)にも敗れ5着。4コーナーでは手応えがよく、これはいけるぞと思ったのだが、結局掲示板を確保するのがやっとだった。

 そして最終レースではゴール前で馬のぬいぐるみ(大)を頭に巻き、実況の真似をする「名物おじさん」を見た。某ウェブページでちょっとだけ話題になっていたので存在は知っていたが、実物を見るのは始めてだ。これを見ただけでも京都まで来た甲斐があるぞ、って天皇賞を見に来たのではなかったんかい。まあ、天皇賞も見ごたえのあるすばらしいレースだったが。結局最終も万馬券が飛び出し(さすがに前日の最終ほどには荒れなかった)、私の馬券も外れ、前日の稼ぎをほぼすべて使ってしまった。

 最終レース終了後、杉本清アナと須田鷹雄氏によるG1回顧というイベントが行われていたので見る。しかし、マイクのボリュームが小さくほとんど何を言っているのか聞き取れなかったが。モニターに天皇賞のVTRが映し出されると名物おじさんが実況を始めたので、JRA主催のイベントではなく名物おじさんの実況&パフォーマンスを見ていた。

 そしてこの日は茨木駅前にある運竜宅へ泊めていただくことにする。淀から山崎へバスが出ていたのでそれに乗る。山崎といえば京都・大阪両府の境にある秀吉軍VS光秀軍の戦いやサントリーのウヰスキーで名高い町であるがなぜか行政区画上の町名は山崎町ではなく大山崎町であるらしい。山崎から茨木まではJRで一本だ。茨木では広島風お好み焼きを食べにいった。何故か大阪にきて大阪焼ではなく広島焼である。個人的には大阪風よりも広島風のほうが好きなのでよかった。大阪府内にも広島風お好み焼きの店があるんだな。

 運竜邸で関西の地上波競馬中継であるドリーム競馬を見る。関東でやっているスーパー競馬よりもこっちの方がいいぞ。ドリーム競馬では98年12月に火災のあった日高大洋牧場の惨事を扱っていた。繁殖牝馬が妊娠中の馬を含めて20頭近く焼死した大惨事。あらためてスペシャルウィークが勝ててよかったと思った。何か今年の春天も感動的なレースなんだな。日高大洋牧場の関係者の方々はスペシャルウィークの勝利の瞬間どのようなお気持ちだったのであろうか?

5/3
 さて、この日は晴れれば飛鳥か橿原でレンタサイクルを借りて自転車で史跡巡りをしようと思っていたら、晴れたので飛鳥へ向かうことにする。京都のコインロッカーに荷物を預け、近鉄に乗って明日香へ。ちなみにアスカは普通「飛鳥」と書くが、なぜか行政区画上の村の名前は明日香村であり、近鉄の駅の名前も明日香である。日本に漢字が伝わる以前からの地名なので、万葉仮名では「明日香」と書き、漢字の当て字(つまり「むつ」を陸奥と書いたり「やまと」を大和と書いたりするほうね)が「飛鳥」なのだろう。

 さて、明日香駅を降りて駅前のレンタサイクル屋へ。観光ガイドには飛鳥で自転車を借りて橿原で乗り捨ても可能と書いてあったので、自転車で橿原まで向かおうと思っていたが、この日はGWで客が多いこともあって乗り捨てはやっていないもよう。仕方がないので路線変更。明日香近辺を回ることにする。明日香についたのが昼頃で、時間もあまりなかったし。

 飛鳥に来たのはこれが2度目である。前回は時間があまり取れなくて1時間半しか時間が無かったのであまり回れなかった。今回は3時間半ぐらいは滞在できるのだがそれでも行きたいところに全部いくには足りないだろう。橿原神宮のほうも含めて全部回るには朝から夕方までかかりそうだ。というわけで昼飯は省略する。途中でジュース2本とソフトクリームを口にしただけだった。

 飛鳥は一見のどかな田園風景だが、古代の大和朝廷の都があった場所なのであちこちに古墳や古代の史跡が点在している。サイクリングをするには絶好の場所である。まず高松稜&壁画博物館を見に行く。そして自転車を走らせていくと田んぼの中に亀石と呼ばれる大きな石が。亀の形をした石である。そして更にいくと聖徳太子が生まれたといわれる寺があったので入る。拝観料がとられたが。その寺へと続く観光客でごったがえした道沿いの畑では、地元のおっさんがトラクターを走らせ畑仕事をしている。

 それから石舞台古墳へ。石舞台古墳は古墳の石室がどういうわけか地上に飛び出してしまっている古墳である。つまり石室以外の部分が長年風雨にさらされて、削り取られ石室だけが顔を出したものである。以前石舞台古墳に来たときは修学旅行生の集団がいたため近寄りがたくて遠くから眺めていただけだったが、今回はちゃんと近くまでいった。遠くからみると巨大な岩の塊に見えるかもしれないが、立派な石室である。しかも古墳にしては珍しく一般客が石室の中に入れるようになっている。せっかくだから中に入って見た。古墳の石室といっても周りの石が結構風化しているので(入り口以外の場所にも)穴があいている部分もある。中から見てるとその穴から中を覗く人の顔が見えたりもした。

 石舞台を見終え、自転車をこいで岡寺という寺にいく。岡寺とはまさに岡の上に作られた寺というそのまんまのネーミングである。近鉄の駅の駅名にもなっているのだが。途中道を間違って岡寺へ向かう道と立体交差している道にいってしまうが、引き返すのが面倒だったので歩行者用の階段を自転車を担いで降り、正しい道へといく。岡寺は岡の上にあり、かなり岡を登らなければならない。じいさんばあさんがハァハァ息を切らしながら登っていた。四国のこんぴらさんに比べたら登りの量は大したことはないので、こんぴらさんの奥社まで行ったことのある私にとってはそれほど大した登りではない。それ以前に登山をやっていたので、というほうが正しいだろうが。

 なんか飛鳥での様子を文章で書いただけじゃその面白さがあまり伝わってこないだろうな。飛鳥ではコンビニで使い捨てカメラを取り写真を撮っていたので現像できたら写真を掲載する予定。うまく撮れていたらだけどね。

 3時半ごろに自転車を返し、近鉄で京都へと戻る。橿原神宮前で特急を捕まえることができたので特急で京都までいく。そういえば2日間風呂に入っていない。京都でちょっと時間があったので、3日前に泊まった京都第3タワーホテルでもらった割引券を使い、京都タワーの地下にある大浴場で入浴。時間がそんなにはあったわけではないのであまりゆっくりできなかったが、取り合えず汗を流すことはできた。着替えのTシャツが尽きたので京都タワーのお土産屋でTシャツを買った。せっかく京都に来たのに普通のシャツじゃつまらないので京都らしく


 新撰組 


 
 
と書いたお土産用Tシャツを買う。うーん、なんか暴走族みたいな感じもするな。いや、新撰組なので暴走族というよりは右翼団体か。

 風呂に入っていたら食事の時間がなくなったが、昼食を抜いていたので食べないわけにもいかず、駅弁を買って新幹線へ。新幹線は小田原へ停まる数少ないひかり号。この日は親戚の家に行くので小田原で降りるわけだ。指定席でノートPCを広げこの放浪記の原稿を書いているうちに小田原へ到着。あとは、私鉄の大雄山線に乗り、南足柄の親戚の家にいき、泊まる。

5/4
 前線を伴った低気圧が日本に接近中。しかし昨日の関西は晴天だった。日本の天気は西から東へと移動するものなので今日の関東は晴れるはずである。しかし、この日の足柄は朝から雨だった。前線は新幹線よりも速かったのか?前日小田原へ着いた時は晴れていたのでもちろんそんなことはなく、一晩寝ている間にやって来たのだが。

 この日は富士山へハイキングにいく予定だったが、雨天中止。しかし、午前中は雨の中、叔父と一緒に富士山へ山菜採りにいった。雨合羽に身を包み山に入る。そして、目的の山菜(名前は忘れてしまった)が生えている場所に着き、山菜を採りはじめる。幸か不幸か雨なので山のその場所には私たち2人以外誰も人はいない。採取すべき山菜の形を叔父に教わり採る。私は山歩きは玄人だが山菜採りは素人なのでどれだけ採れるか心配で荷物運びとしてしか貢献できないかもしれないと思ったが、結構な量を採ることができた。山菜の場合、キノコと違って間違ったものを採ってしまっても食中毒になることはないので安心しながら採る。

 そしてずぶ濡れになって叔父の家に戻る。家の人が我々の採った山菜を料理してくれたのでそれを食べた。スーパーで売っている山菜や街のソバ屋の山菜ソバに入っている山菜はそれほどうまいとは思わないが、やはり天然の山菜は旨い。雨の中採りにいった甲斐があったというものだ。

 結局夕食もそこでごちそうになり、新松田まで車で送ってもらい、小田急線で帰る。府中についても雨は止んでいなかった。雨の中、自転車の籠に大量の荷物を乗せ、片手に傘を差しながら家路につき、今回の旅は無事終了したのであった。


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