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Last Updated 2000.2.13
同年7月31日、後藤騎手は新潟競馬場で騎乗していた。そして第10レース笹山特別で騎乗した馬の名前がナグルチャンス。岩手県競馬所属の菅原勲騎手からの乗り替わりでこの馬に初騎乗である。14頭立て9番人気で7着であった。
日頃から吉田騎手の言動を不服に思っていた後藤騎手は、この馬に乗ったことにより殴り込みという非道な手段を決心したのかもしれない。その日以来、彼は殴るチャンスを窺っていた。吉田騎手を木刀で殴る後藤騎手の頭の中には、7月31日に騎乗した1頭の馬が駆けめぐっていた・・・・・。
この馬の馬主は悪意があってこの名前を付けたわけではないのだろうが、もし上記の仮説が正しいとしたら、この殴る蹴るの暴行(昨今のメディアでは「暴行」の前に「殴る蹴るの」と付けないと別な意味に捉えられる場合があるらしい)事件には、この馬の馬主も少なからず貢献しているのではないだろうか。
(2000.1.13)
暴行事件で4ヶ月間騎乗停止となった後藤騎手は、謹慎期間が明けたその週のうちに斜行による進路妨害でまたしても騎乗停止処分となってしまった。そうこうしているうちに年は明けて2000年である。
2000年2月13日東京競馬場第10レース立春賞にナグルチャンスが出走してきた。その鞍上には例の事件の被害者吉田豊騎手が跨っていた。ナグルチャンスはバリバリの人気薄(単勝100倍台)。そして、このレースでは2番人気のミツルリュウホウという馬に後藤騎手が騎乗していた。
結局ナグルチャンスはいいところがなく12頭立ての10着。後方からの競馬となり、吉田騎手を乗せたナグルチャンスはレース中、一度も後藤騎手の前を行くことはなかった。まあ、ナグルチャンスの場合11番人気だから10着でも客の期待以上には走ったということになる。
後藤騎手を乗せたミツルリュウホウはといえば、ナグルチャンスには先着したものの8着と人気を裏切るレース。被害者吉田豊の怨念のなせるワザなのだろうか?それとも、後藤騎手がナグルチャンスを気にして、レースに集中できなかったのだろうか?
その次のレース(11R)のダイヤモンドSではナグルチャンスの呪縛が解けたのか、後藤騎手がユーセイトップランで久々の重賞制覇を果たし穴をあけた。