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2004年度優駿エッセイ賞1次選考通過作品 「府中の西門前」

04/10/25

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2004年度に応募したものです。結果は1次選考は通過したものの残念ながら入選はできませんでした。1次選考通過が17作品で佳作を含めた入選作は10作品なので惜しい確率で落選してしまいました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は誌上にタイトルと私の名前が掲載されたものの、入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。

府中の西門前

  「青年!」
 我々が店を出るとその男は背後から突然話しかけてきた。
 「さっきダイタイチョウとかチュウタイチョウとか話していたよな。俺はそのダイタイチョウとかチュウタイチョウとかの馬主の親戚なんだ。今後ともよろしくな。」
 1番人気スマートボーイが惨敗した01年の平安Sの日。東京競馬場西門前にある飲み屋で、スマートボーイを軸にして惨敗を喫した友人が「スマートボーイよぉ、畜生!」とボヤいていた日だ。その後、飲み屋での我々の話題は珍名馬の話題となり、ダイタイチョウとかチュウタイチョウとかという馬の名前が出てきて盛り上がった。
 家に帰ってから調べてみると、それらの馬は馬主も生産者もグランド牧場であるようだ。
 グランド牧場といえば粋な名前の馬が多いことで我がお気に入りの馬主である。オトコップリ、カミワザ、ホンモノ、イッポンゼオイ等、例をあげればキリが無い。そして、よくよく調べてみると、スマートボーイもそのグランド牧場の馬であるのだった。友人があれだけスマートボーイに対してボヤいていたにもかかわらず、飲み屋の前で我々に話しかけてきた60ちょっと過ぎぐらいの初老の紳士は、スマートボーイのことには一切ふれなかった。なかなか人間のできた紳士である。
 その店(店に迷惑がかかるかも知れないので店名は出さないが)には、プリエミネンスやスマートリーダーといったグランド牧場の馬が勝った時の口取り写真が飾られており、その老紳士が写っている。他の写真は?重賞を勝った時の写真は無いのか?などと野暮なことを聞いてはいけない。店に飾ってある写真は、その老紳士がグランド牧場代表として口取りに参加した時の写真だけが飾ってあるのだ。

 東京競馬場西門から府中本町駅へ向かうオケラ街道沿い。そこには戦い終わった馬券師達の集う飲み屋街がある。そこは中央競馬開催日に、競馬帰りの客で賑わう。決して豪華とは言えない、小屋に毛の生えた程度の店構えである。そこの客層は正統派競馬ファン、つまりドロドロの競馬オヤジが多く、その日のレース結果を中心とした内容の濃い競馬談義があちこちから聞こえて来る。「ちくしょう、○○出遅れやがってよ、金返せ!」とか「やっぱり○○は府中で逃げ馬に乗るとダメだよな」等、馬券師達の本音がどこからともなく聞こえて来る。日本の良き競馬文化だ。とにかく、ここに来れば日本の競馬の真髄が味わうことができる。

 ある店にはやたら羽振りのいいおじさんがいる。正確な職業や社会的地位は不明だが、雰囲気的に中小企業の社長さんといった感じだ。機嫌のいい時は知り合い如何にかかわらず店にいる他の客にビールを奢る。私がピーナツを頼んでも店員が忙しくて手が離せない時は、勝手に店の棚からピーナツを取り出して、私の所へ持ってくる。そして店員に向かって、「ここのお兄ちゃん達、ピーナツ一皿ね!」

 03年の平安Sの日。この日は私の馬券生活で記念すべき日だった。2年前にこのレースを1番人気で惨敗し、1年前は人気薄でこのレースを勝ったスマートボーイがまたしても平安Sに出走していた。そして私はそのスマートボーイを馬単の頭にして勝負を賭けていた。逃げるスマートボーイの脚色が最後の直線でも衰えない。そして2番手には道中も2番手の位置につけたクーリンガーが粘っている。東京競馬場のターフビジョンで観戦していた私は思わず「そのまま、そのまま、そのままああぁ!」と大声で叫んだ。私の前にいた見知らぬオッサンが「そんなに叫ばなくてもそのまま決まるって」と呆れていた。私の魂の叫びが府中から淀に届いたらしく、そのまま決まり我が馬券が的中した。そして配当を聞いてビックリ。私が買っていた馬単には20万以上の配当が付いていた。200円購入していたので40万円以上儲けることができた。スマートボーイさまさまである。
 これだけ稼ぐと、西門のような(失礼な言い方で申し訳ないが)安っぽい飲み屋ではなく、もっと高級な店に飲みに行きたい気分だ。しかし、今日の勝利はスマートボーイのおかげである。グランド牧場の親戚の紳士に対してお礼を言わなければならない。だから最終レース終了後、その男の行きつけの西門の店に向かった。彼が入ってくるや否や、私は「ありがとうございました。スマートボーイを軸にして20万馬券を稼がせてもらいました。」とお礼の言葉を述べる。すると「俺もスマートボーイから買ってたんだけどなぁ。2着の馬(クーリンガー)を買ってなかったよ。」と言う答えが返ってきた。馬券は外したものの、グランド牧場の馬が重賞を制し、彼の表情はにこやかだった。2年前、スマートボーイが平安Sで惨敗を喫した時の「出会い」が無かったら、ひょっとしたらこの日の20万馬券的中はなかったかも知れない。彼にとって残念だったのは、馬券が外れたことではなく、この日現地で口取りにグランド牧場代表として参加するのが自分では無かったことなのかも知れない。京都で重賞を勝った日に府中西門にいるぐらいなのだから。もちろんその日のその店ではスマートボーイの話題で持ちきりだった。

 西門の店でも際立って店舗面積の小さいお店に入ってみた。店は狭いがなかなかサービスがよい。店の中には常連客と思しき人々ばかり。ここの店が西門の中でも特に客層が濃かった。やたらと元気のいいオヤジが「最終レースもよぉ。ちゃんと買ってれば取れたんだけどメインでカネが無くなってしまったからよぉ。相手を絞ったら抜け目が来ちゃったよ。」と話し始める。馬券を買うカネは無くても飲み代だけはどこからか捻出されるらしい。まあ、西門では千円ちょっとあれば足りるのではあるが。そのオヤジの話の中にメイズイ等という馬が出てきていたので競馬歴30年以上の大ベテランらしい。昔の思い出話から、その日外した馬券に対する愚痴にいたるまで、元気に仲間と語っていた。「お前は儲かってるだろう。岡部しか買わないからな。なんてったって二千以上も勝ってるんだぞ。そりゃぁ儲からないはず無いよな。」いくら岡部が名手だからと言って、二千勝つ間に幾つ負けていると思っているのだろう。勝った時の配当はどれだけ安いと思っているのだろう。そんな突っ込みどころ満載のことを堂々と言っているのだが、こういう馬鹿げた競馬談義も味があって良い。大ベテランの大先輩が言う言葉だけに、深みがあり味わいがある。文字で表現してもその味は伝わってこないかも知れないのが残念ではあるが。
 私の席の後ろでは男2人が将棋を指している。店を出るためにお勘定をお願いすると、将棋を指している男のうちの一人がお勘定をし始める。実は店員だったのか。こういうアットホームな雰囲気が素晴らしい。

 東京競馬場西門前の飲み屋街。店構えは決して豪華とは言えない。小屋に毛の生えた程度の一杯飲み屋。しかし、そこには素晴らしい文化がある。競馬を中心に集まってきた熱き馬券師たちの人生の縮図であるドラマがある。店内のテレビに流れるグリーンチャンネル。その日のレースのリプレイを見ながら競馬談義は繰り広げられる。時には馬券の結果に一喜一憂し、時には人生について語り合う。晴れた日には外に並べられたテーブルで青空の下、開放感に浸りながらビールを飲むことができる。秋が深まりつるべ落としのように日が暮れる季節になると、競馬場に近い側の蛍光灯の明かりと、奥の側の店の白熱灯の光が味のあるコントラストを奏でる。冬の寒い日には湯豆腐が出る店で温まりながら競馬談義。時にはベテランの馬券師が若い奴に向かって熱く語る競馬談義も繰り広げられる。
 競馬はただ馬が走っていて馬券が売られていればいいという物ではない。たとえば西門のような味のある市井文化。そういうものまでひっくるめて競馬という文化が成り立っている。競馬は単なるスポーツでも無ければ単なるギャンブルでも無い。埒の向こう側では馬や騎手・調教師などの様々な関係者が筋書きの無いドラマを演じているが、埒のこっち側の世界でもドラマは繰り広げられている。そういうものまでひっくるめて競馬という文化がある。それは日本競馬の素晴らしい伝統。そしてその格好の舞台が東京競馬場西門にある飲み屋街。
 時代と共に競馬は変わっていく。時代時代に合わせて発展する方向で競馬は変わっていかなければならない。しかし、素晴らしい伝統は守っていくべきである。東京競馬場西門の素晴らしい競馬文化。我々は次の世代までその灯を消してはならない。そしていつの日かベテランとなったら、次世代を担う若者を相手にここで競馬について熱く語ってみたいものだ。


[おまけ]
雑誌『優駿』2004年11月号に掲載された審査員の選評より本作品に関する部分を抜粋

福田喜久男さん(優駿編集部)
選に漏れた中では、「府中の西門前」は普段目につかないレース後の酒場の様子がリアルに面白く書かれていました。
石川喬司さん(作家)
さらに「オーラスライン」「夢の暴力」「夫婦競馬」「府中の西門前」「馬日記、恋日記」その他佳作組にも何度か琴線をくすぐられた。


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