そのステイゴールドはG2ドバイシーマカップに出走した。そして昨年のエミュレーツワールドシリーズ1位のファンタスティックを交わして見事な勝利!またしても2着かと思われたが、ゴール直前で首差で交わし、僅差の勝利。鞍上は武豊。以前のステイゴールドなら勢いからすれば勝つようなレースでも、先頭の馬に並びかけたところで脚が止まったものだが、シーマカップでは長い直線の競り合いの末、ハナ差でかわした。見事な勝利だった。
話はステイゴールドからは離れるが、95年の春の天皇賞でステージチャンプに乗った蛯名正義騎手がライスシャワーを交わしたと思い、ゴールの瞬間ガッツポーズをした。しかし、結果はライスシャワーの勝利でステージチャンプは2着。その後、蛯名騎手はここに書いたように99年オークスをウメノファイバーで征したが、その時の勝利騎手インタビューで「今日は派手なガッツポーズはしませんでしたね」と聞かれて「前に一度間違っちゃいましたからね」と答えた。さすがは蛯名である。
そして99年の有馬記念。武豊騎手はスペシャルウィークに騎乗していたが、結果はグラスワンダーの鼻差の2着。しかし、ゴールの瞬間は勝ったと思っていてガッツポーズをした上、その後ウィニングランを始めた。しかし、確定の赤ランプがついたころにはグラスワンダー1着と発表されたのである。
その武豊騎手がドバイの地で鼻差で重賞を征した。1着か2着か微妙なところだった。結果は1着。日本馬による初のドバイでの勝利である。着順が確定するまでは派手なガッツポーズもウィニングランもしなかった。やはり、有馬記念の「幻のガッツポーズ&ウィニングラン」が頭にあったのだろうか?
そして、その武豊騎手。その次のレースであり世界最高賞金のレースであるドバイワールドカップをステイゴールドと同じ池江厩舎のトゥザヴィクトリーに騎乗した。今度は2着だ。1着にはちょっと差をつけられた2着だが、それでも大健闘だった。
それにしても、この2つのレースの2着馬は2000年のJCで私が馬連の本命にして惜しくも3着だったファンタスティックライトに2001年フェブラリーSで私が馬連の本命にして惜しくも3着だったトゥザヴィクトリー。日本のG1で私が馬連を買った時も連に絡んで欲しかった…。