Share
  1. 競馬のお時間 >
  2. そこに馬がいるからだ >
  3. さらばハイセイコー

さらばハイセイコー

00/5/10

 5/4に元祖アイドルホースハイセイコーが天寿を全うした。30歳だった。

 世間ではアイドルホースと呼ばれているが、彼が人気がある理由は大井競馬という地方競馬出身の馬が中央の舞台で、時には挫折も味わいながら頑張っている姿を見て、一般庶民が「俺も生まれ(or育ち)がよくないが、そんな奴でも頑張れば出世できるんだ」と自分の像にダブらせたというのが大きいだろう。そういう意味ではアイドルという雲の上の存在を表す言葉よりは庶民の等身大のヒーローといったほうが適切なのかもしれない。私の生まれる前の昭和47年の馬なのでリアルタイムで彼の現役時代を見ていたわけではないが、何にせよ競馬を大衆化したという功績は大きい。

 ハイセイコーといえば主戦騎手増沢末夫が歌った「さらばハイセイコー」という歌が有名だようだ。私は聴いたことがないのでどんな歌かはわからないが、大ヒットしたらしい。ここではもう一つの「さらばハイセイコー」について書くことにする。もう一つのとは寺山修司の詩である(角川文庫から出ている「競馬への望郷」に収められている)。増沢末夫のさらばハイセイコーが吉幾三の雪国なら寺山修司のさらばハイセイコーは川端康成の雪国である。何か違うような気もするがまあいいだろう。

 寺山修司のさらばハイセイコーでは、

ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった
 こういう調子で少年工、車椅子の少女、酒場の女、ピアニスト、ミス・トルコ、新聞売り子等の一般庶民たちのそれぞれのハイセイコーが語られている。

 私は寺山修司の名文句「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」というフレーズが好きだ。この寺山修司といえば思い出す名文句も「さらばハイセイコー」の中で生まれたフレーズである。

 寺山修司はさらばハイセイコーを次のように締めくくっている。

だが忘れようとしても
目を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ
 それだけ多くの人の心に残ったということだろう。

 「競馬への望郷」(文庫版)で解説の山野浩一氏は「ハイセイコーは実際には良血馬であり、ハイセイコーのような良血馬が地方競馬に入ることは決して珍しくない」と述べている。しかし、見ている側は地方競馬出身ということで、何やらその馬を身近に感じることができたのだろう。そして出てくるたびに勝つのではなく、皐月賞を圧勝した後は勝ったり負けたりしているのを見て、ファンは挫折のない人生はないのだということを学ぶ。その後中央競馬ではオグリキャップやライデンリーダー、最近ではメイセイオペラやレジェンドハンターといった地方競馬出身または在籍の馬達が活躍するが、その先駆けとなったのがハイセイコーである。

 ハイセイコーの競馬場でのドラマは3年で終わったが、彼は種牡馬としてもダービー馬を出すなど優秀な成績を残した。名前がハイセイコーだけにサクセスストーリーである。そして天寿を全うしたといってもいい高齢まで生きた。サラブレッドとしては恵まれた人生を送ってきた馬である。

 ハイセイコー亡き後ももちろん競馬は続いていく。なぜなら後ろには夢がないからである。しかし、今の競馬人気の土台はハイセイコーが作ったといってもよい。私も寺山修司の本を読んで競馬にはまっていった人間であるが、寺山修司が最も愛した馬ハイセイコーがいなければ私も競馬にのめりこむきっかけを失っていたのかもしれないのだし。


もどる
もっともどる