日本馬がこれだけ活躍しているのは、もちろん活躍の場があるからである。つまり、海外には外国の馬に対して門戸を広げているレースがあるということである。では日本で行われる競馬はどうかというと国際G1であるジャパンカップはもちろんだが、その他一部の重賞レースが外国馬に対して門戸を開いている。しかし、これだけ日本調教馬が海外のレースで活躍すると、諸外国から「日本のレースももっと外国の馬に解放すべき」との声があがってくるだろう(ただでさえ日本は諸外国より賞金が高いのに)。また、日本の競馬ファンの中にも(主に海外競馬フリークを中心として)日本でも海外の強い馬が参戦するレースを見たいと思う人もいるかもしれない。
では、日本の競馬を外国馬に解放するのがよいかというと、私はそうは思わない。何故なら馬券検討が困難、いや実質的に不可能になるからである。JRA所属の馬が、10個の競馬場で競走するからこそ、予想が可能なのである。そこに海外の馬が入ってくると馬券検討が極めて難しくなる。ある程度閉じた中でレースを行うからこそ、出走する馬の能力の比較やその馬の適性(距離だけではなくコース適性も含む)ができ、勝ち馬検討が可能なのである。
競馬の最大の魅力は何かというと、カネを賭けるというギャンブルであるが、その出目をある程度予測可能であるということである。もちろん「ある程度」ということが重要であり、100%予測可能だと配当はいつも元返しだし、自分の頭で考えるというおもしろさがない。この「自分の頭で考える」という点が面白いのだよな。レースの展開を自分の頭で予想し、カネを賭ける。この「考える」という行為があるからこそ、「予想の修行をつめばきっと勝てるようになるのでは」という希望を客に対していだかせる。そもそも、勝つとか負けるとかとは別次元で、買い目を検討する上で「考えて予想する」という行為自体が面白いのではないだろうか。競馬は、そして馬券は単なるギャンブルではなく知的な推理ゲームでもあるわけである。そこがルーレットや丁半バクチと競馬が一線を画している点であろう。
しかも日本の場合、競馬新聞のデータ量が世界でもトップクラスといわれるぐらい充実している。競馬新聞で「日本のレースに出走する海外で走った馬」の海外での成績欄を見てみると、日本の競馬のデータが充実していることがよくわかると思う。だからJRAは世界一の胴元となれるのだ。もちろん日本は法律で賭事が禁じられていて、JRAのような法で定められた胴元のみが合法的に馬券を発売できるので民間ブックメーカーが認められている国よりも胴元の売り上げが上がりやすいという背景もあるが。
そこに海外の馬が頻繁にやってくるようになるとどうなるだろうか?世界に何百とある競馬場のコースの特徴とかがすべて頭に入ってる人はいまい。また、直接対決のない馬通しの戦いが多くなり、能力の違いがはっきりしない。また、競馬予想においては「格」もけっこう重要な要素であるが、海外の無名なレースの名前を聞いてそのレースがどれぐらいの格のレースかもわからないだろう。また、遠征に強い馬もいれば弱い馬もいるし、アクシデントで体調を崩して本来の力を出し切れない馬も多いだろう。その他にも馬券検討に不確定要素が大量に入り込み、予想は事実上困難となってしまう。そうしたら、ただ勘で馬券を買い運に結果を任せる丁半バクチと同じような単なるギャンブルになってしまう(もちろん、丁半バクチと競馬じゃプレイヤー同士の「駆け引き」のようなものは大部違うと思うが)。
もちろん、競馬をスポーツとして捉えた場合、JCのようなレースは年に1回ぐらいはあってもよい。しかし、あまりにその数が増えすぎると競馬本来の面白さがなくなってしまうので、外国の馬が大量に出てくるレースはこれ以上作らないで欲しい。JCはお祭りであり、それはそれで興行的には面白いのだが、馬券的な魅力は大して感じない。
なお、外国馬と同様のことが地方所属馬についてもいえると思うが、この場合は外国馬と同じように頑なに反対してばかりもいられないだろう。地方馬といっても日本の馬であり、その多くは日本で生まれた馬だ。競馬には「生産者振興」というギャンブル以外の目的もあるのだから。ギャンブルとしての面白さを考えると地方馬解放は好ましくないが、生産があってこそ競馬は面白いとも思うので地方馬への解放は致し方ないだろう。ただ、外国馬にまで義理立てする必要があるかといえば、無い。