事件の概略はこう。羽田空港で田原師が飛行機に乗ろうとしたところ手荷物検査に引っかかった。カバンの中から刃渡り19cmのナイフが出てきた。これで銃刀法違反が確定。そして更に手荷物を調べているうちに上着のポケットから覚醒剤の付いた注射器が発見された。
世の中は例のタリバンのテロ事件で飛行機搭乗時の手荷物検査が厳しくなっている時期である。刃物等のハイジャックの武器となりうるものの検査は厳しくなっているに決まっている。それなのに…。何故覚醒剤付きの注射器を持っているのに、わざわざ「所持品検査をして下さい」と言うが如く刃物をカバンに入れて飛行機に乗ろうとするのだろう。「どうぞ捕まえて下さい」と言ってるようなものである。勿論バレなければ何をしてもいいという訳ではないが、あまりに無防備すぎる逮捕劇である。
田原調教師といえば普段の行動や言動からシャブをやってたということ自体はそれほど驚かなかった(もちろんそれが悪くないと思っているわけではないが)。しかし、ここまで間の抜けた捕まり方をするとは驚いた。覚醒剤をやっていたこと自体よりも、注射器を隠し持っているにもかかわらずナイフを飛行機に持ち込もうとしたという行動に驚いた。
田原成貴氏といえば騎手時代からなにかと話題の人間だった。まずはサルノキング事件。同馬主・同厩舎のハギノカムイオーを勝たせるため(かどうかは知らないが)に、後方からの競馬で向こう正面で一気に先頭に立ち結果4着だった。私は当時は競馬をしていなかったので本を読んだだけだが、八百長疑惑が立ったらしい。しかし、これは結果的に4着に敗れ馬が骨折をしたというものの、意表を突くという作戦だったのではないだろうか。同厩舎・同馬主の馬がいるので力関係的に弱い立場にある若手騎手(当時)のサルノキングは少なくともハギノカムイオーの邪魔になるような騎乗をしてはならないだろうし、この程度のことなら競馬の世界では頻繁にやられていることだとも思う。結果的に馬が骨折してしまったのは残念だが。
それからステートジャガーの薬物使用事件。これは田原は乗ってただけなので事件に関与していたかは不明。
そしてサンエイサンキュー事件。平成4年のエリ女でサンエイサンキューの調教の際のコメントで「調子を落としている。これでは勝てないだろう。」というニュアンスのコメントをしたらサン○ポに「これで勝ったら坊主にする。」などと歪曲した表現で載ってしまい、馬主や厩舎関係者が激怒したという事件。サ○スポのサイトではこれを「田原容疑者の過去のトラブル」の一つとして取り扱っているが、この件に関してはむしろ自紙の記者に問題があると思うのだが。競馬ファンとしてはむしろ調教に乗った人間が正直に馬の調子を答えてくれた方がありがたいというものである。中には99年秋天のスペシャルウィークのように調子が悪いといいながら勝ってしまう馬もいるということが予想を困難な物としているのだが。
もちろん感動的な話題もある。その一つがトウカイテイオーの奇蹟の復活である。骨折明けで1年ぶりにぶっつけで有馬記念に出走したトウカイテイオーが田原の好騎乗もあって見事に勝利を修める。感動的な勝利である。GIで勝つと投げキッスをしたりとおちゃらけたところのある田原だが、この時だけはウィナーズサークルで男泣き。かつては全国リーディングだった自分が腎臓摘出をするほどの大怪我をして復帰後も不振が続いたが、これで完全復活をアピールした。怪我に泣かされてきた自分とトウカイテイオーの像がダブったのだろう。トウカイテイオーという馬の偉大さが、「あの田原成貴」を人前で泣かせるに至ったともいうことができる。
それから2年後。マヤノトップガンで有馬記念を制した。この時は例によってウイニングランの際に投げキッスなどをして大はしゃぎだったが、極めつけは勝利騎手インタビュー。12月24日に有馬記念が行なわれていたのだが「ファンのみなさんに一言お願いします」と言われて「メリークリスマス」。この普通ではないところが田原騎手の売りである。
その田原騎手も引退して調教師となる。その直前に記者殴打事件が起きる。新聞記者を記事内容について検量室に呼び出し、鞭で殴打して記者は歯を折るほどの怪我。その時の弁明のコメントが「鞭を試し振りしていたら偶然そこにいた記者に当たってしまった。」という釈然としないもの。JRAは故意ではないと判断したためお咎め無し(ここで騎乗停止になったら引退レースで乗れないという温情?)。
その他にもロックバンドを組みCDを発売したり漫画の原作やエッセイの執筆などマルチタレントぶり(?)を発揮した。
そして調教師となり開業してからは黒の軍団チーム田原として売り出す。オリジナルグッズを販売したり、厩舎の軽トラックをロゴマーク入りにしてホームページで愛称を募集するなど非常にユニークな調教師事業をしていた。スタッフもカリスマ調教師田原成貴を慕って入って来た人ばかり。
しかし、厩舎初の重賞馬フサイチゼノンの皐月賞回避を巡るトラブルでオーナー関口房朗とトラブルがあり、ゼノンは森厩舎に転厩。これは「どっちもどっち」という事件だった。ちなみにこの関口房朗オーナーは田原調教師に負けないぐらい大胆な社長である。入社式で闘牛を行ったり、学生を集めた会社説明会で自分の著書を配った後にサイン会を開催したりした。また、1300人の新入社員を入社させたその年にその1300人全員を含む1500人をリストラするという乱脈経営ぶり。そのリストラ費用で買ったフサイチペガサスという400万ドルの馬がアメリカで活躍し種牡馬としてかなりの高い額で売られたので長者番付にも登場した。日本でフサイチコンコルド、米国でフサイチペガサスと2カ国でダービー制覇である。「ダービー馬の馬主になるのは一国の宰相になるより難しい」と言われるが、二カ国でダービーオーナーとなってしまったのである。ケンタッキーダービーの時は表彰式に舞妓さんを連れていったらしい。だが、参議院議員選挙に立候補したら見事に落選した上に運動員が選挙違反で捕まった。一国の宰相になるほうが実は難しいのでは。
なんか関口房朗を語るコラムになりつつあるので話を田原調教師に戻そう。2001年には田原調教師は「馬の耳に発信器事件」を起こした。厩務員などのスタッフに知らせることもなく、転厩が予定されていた耳の中に発信器を接着剤で取り付けられていた事件である。これでJRAから50万円の罰金が科せられ、JRAを通して謝罪のコメントが出された。しかし、チーム田原のホームページ上では「だって俺だもん」と思いっきり開き直ったコメントを書いていた。(覚醒剤で逮捕後その文章はWeb上からなくなっていたが、覚醒剤事件後に読んだほうが笑えたりする。)
そしてそれからあまり立たないうちに冒頭の逮捕劇である。2001年に出されたエッセイ「旅の途中」では前書きに「今は、心地いいものを見つけるための旅の途中なのだと思う。」と書かれている。ここの「旅」というのは実は英語で「トリップ」と読むのではないだろうかと思ってしまう。
いろいろ書いてきたが、良い意味でも悪い意味でもネタを提供してくれる人だった。調教師としてははっきり言って三流かもしれないが、騎手としては超一流の腕前であった。トウカイテイオーやマヤノトップガンの栄光は田原が逮捕されたからといって無くなるわけではない。騎手としての田原成貴の腕前は一流であった。そして数々の感動を与えてくれた。その後がどうあれそのことは変わることはない。また、今回の件で調教師としての復活は絶望的だが、話題を提供してくれる人物がいなくなることは寂しいことである。出所後はタレントとしてでも活躍するのであろうか?今後の動向にも注目していきたいところである。