残った6件は競馬場の西門から府中本町駅に向かう最短距離の道に面した店である(詳しい場所は府中西門MAP参照)。そこから外れた方向に向かう道に面した店はすべて取り壊され、それどころか道自体がなくなり、マンションが建てられるようだ。
西門の飲み屋街は競馬場西側の最寄駅である府中本町へ向かう道路沿いにあるのではなく、少し南側にずれた方角に向かって連なっていた(過去形で書かなければならないのが悲しい)。西門1階から府中本町に最短距離で向かう道路沿いには民家(反対側はお寺の敷地&駐車場)があるだけである。普通は競馬場という集客力のある施設から最寄駅までの途中の道路沿いが発展していくと思うのだが、何故ずれた方角に飲み屋街が伸びていたのだろうか?
かつて下河原線という電車が通っていて、東京競馬場駅という駅があった。今の府中本町駅よりも300mほど南である。西門の飲み屋街は競馬場西門からその東京競馬場前駅に続く道沿いだった。
下河原線は昭和48年4月1日をもって旅客運送が廃止された。無論、東京競馬場前も廃止された。その3年後の昭和51年に貨物線も廃止となり、今では線路も残っていない(一部跡地の下河原緑道に往時を偲ぶ意味で線路が残っている部分はあるが列車は走っていない)。東京競馬場前駅が廃止された昭和48年といえばオイルショックがあった年である。つまり、日本の高度成長期が終わった年でもあるのだ。
その後、東京競馬場の国鉄(現JR)の最寄駅は府中本町駅となった。
それでも、その駅のあった場所に向かう方向に連なる飲み屋街はその後40年以上も営業されていた。西門の飲み屋街は高度成長期の姿をほとんどそのまま残したままなのである。須田鷹雄さんの著書「いい日、旅打ち。 」では旅打ちの醍醐味として昭和の、特に公営競技全盛期の高度成長期を匂わせるノスタルジックさが上げられているが、東京競馬場の西門でもそれが味わえる。スタンドは改装されて近代的な雰囲気になってしまったが、西門飲み屋街には高度成長期の様な建物や雰囲気が漂っているのである。旅打ち好き、特に昭和的ノスタルジックが好きな人は東京競馬場の帰りに店に入る入らないは別にしてもその飲み屋街を通って雰囲気を味わってみるのもいいだろう。
しかし、かつて東京競馬場前駅があったという名残はなくなってしまった。東京競馬場前駅方向に向かう道には飲み屋どころか道もなくなってしまった。競馬場からその道への分岐点の間、府中本町駅に向かう遊歩道沿いの数件だけが高度成長期を忍ばせる様に残っているだけである。残された店は日本の良き競馬文化を残していけるよう、いつまでも営業し続けることを願う。