阪神遠征記’99夏


プロローグ
 今年に入ってからあちこちの競馬場で数々のG1レースを生で見てきた。1月末に府中で行われたフェブラリーSに始まり、中山グランドジャンプ(中山)、天皇賞・春(京都)、NHKマイルカップ(府中)、高松宮記念(中京)、オークス(府中)、日本ダービー(府中)、安田記念(府中)。府中に住んでいるということもあるが、京都と中京に遠征もしている。我ながら凄いことだと思う。生観戦していないのは桜花賞と皐月賞だけ。桜花賞は中山GJと同日に阪神で行われるので両方見るのは不可能だが。しかし、上半期(7月だから下半期になるのか)最後のG1である宝塚記念は遠征にいくつもりはなかった。

 しかし、ビッグニュースが飛び込んで来た。今年の宝塚記念の日は昨年の勝ち馬サイレンススズカを記念して「サイレンススズカメモリアルデー」としてイベントが行われるようである。それで宝塚記念の日も阪神まで行こうかどうか迷う。そして迷ったあげく遠征することに決めたのであった。どうせなら皐月賞も中山まで見にいけばよかったな。そうすれば「’99春シーズンは物理的に可能な限りすべてのG1を生観戦」だったのに。

 また、阪神でのイベントとは別に東京と大阪で「サイレンススズカ号」なる列車が走ったそうだ。残念ながらこの列車には乗れなかったが、サイレンススズカメモリアルデーは阪神まで遠征にいってきたので、その様子をレポートする。

7/10(土)
 朝府中を出て新横浜へ向かう。そして新大阪から大阪へ。道中は特筆すること無し。そして梅田から阪急で仁川まで向かう。

 仁川へは午後2時すぎについた。阪神競馬場へ向かうと、宝塚記念前日ということで入り口がデコレーションされている。また、あちこちにサイレンススズカのポスターがちらほらと目についた。とりあえずクレバカードをクレバユニットに通してポイント加算。府中開催が終わった時はもう秋までポイントは増えないだろうと思っていたが、結局阪神で増やすことになったのであった(クレバカードとは東京・中山・京都・阪神の各競馬場に開催日に行くとポイントが貯まるシステム)。でもって準メインから馬券勝負。

 さて、この日は福島で七夕賞(G3)が行われていた。この遠征の前の週の函館記念(G3)で「来るぞ」と思ったジョービッグバンから総流ししたらその馬が勝ち人気薄が2着に来てくれたので万馬券をゲットしていた。そしてこの七夕賞も場所こそ違えローカル開催のハンデ戦。荒れるムードが漂っている。そこで、2番煎じを狙って「来るぞ」と思った馬サンデーセイラから総流しをかける。そしたら見事にサンデーセイラが勝利。しかし、2着に1番人気の馬が突っ込んできたせいで大して儲からず。一応プラスにはなったのだが。

 最終レースは地方競馬(笠松)の騎手だが今年に入ってから中央競馬にかなり遠征に来ていて、しかも絶好調である、アンカツこと安藤勝己の単勝で勝負してゲット。この日は3000円ほどのプラスである。

 馬券とレースのことばかり書いたが、今回の遠征には換えのシャツを持って来なかったので競馬場の競馬グッズを売っている店で宝塚記念Tシャツ(今年の宝塚記念の出走馬が枠番と共にローマ字でプリントされているヤツ)を買う。着替えは現地調達である(笑)。枠順が決まったのがこの前の日なので、Tシャツも出来立てのほやほやなんだろう。

 競馬が終わった後はとりあえず宝塚へ向かう。風呂に入りたかったのでサウナを探した。サウナが見つかったらそこの仮眠室に泊まるというのも手だ。しかし、宝塚駅周辺をぶらつくが、そのようなものは無かった。高そうなホテルとパチンコ屋ならやたら目に付いたのだが。結局パチンコに行ってこの日の競馬の稼ぎを全部失うし(^^;。

 というわけで仁川へ戻る。大阪(梅田)にいけばカプセルホテルがあるのだが、大阪だと阪神競馬場に向かうのに時間がかかる。競馬場に開門時に入場するためには仁川へ泊まるのが一番だろうと思い仁川へ泊まることにする。宿泊場所は阪神競馬場正門前に野宿(爆)。宿泊費無料なのが嬉しい。コンビニでビニールシートを買い競馬場前へ。結構先客がいた。夏の関西なのでシュラフも毛布も持っていなかったが、それほど寒くなく寝ることができた。

7/11(日)
 いよいよ宝塚記念当日。朝早く起床し、トイレに駆け込み昨日買ったばかりの宝塚記念オリジナルTシャツに着替え、ウエットティッシュで顔を拭き、コンタクトレンズを填めて、歯磨きガムを噛むという一連の「身支度」をして開門を待つ。

 さて開門である。こういう時ってみんなして「走らないで下さい」という係員の声をすり抜け「開門ダッシュ」をするものである。そしてこの時もそうだった。だから私もしてしまう。おかげでガラス張りの2階席のいいところを確保できた。

ジャケット そしてこの日はサイレンススズカメモリアルイベントとして来場者プレゼントが行われていた。プレゼントの条件は「サイレンススズカに関連したグッズを持ってくること」。そこで用意してきたサイレンススズカのキーホルダー型ぬいぐるみを係員に見せ、プレゼントの品物を受け取る。プレゼントの品はシングルCD。そのCDにはサイレンススズカが見事に勝利した昨年の宝塚記念の実況と、今年一般公募で選ばれた宝塚記念の新ファンファーレのが収録されている。非売品である(右の写真がCDジャケット)。

 場内のモニターでは新馬戦から毎日王冠までのサイレンススズカの出走したレースの模様が写し続けられている。新馬戦は見たことがないが、こんな大差で勝ったのか。’97天皇賞・秋は生で見ていたが彼の大逃げに沸きに沸いていたな(それを見て「スズカがゆく」を書こうと思ったし)。宝塚記念はファイター南井の最後のG1制覇になっちゃったね。モニターを見るたびにサイレンススズカを巡る様々な思い出が頭の中を駆けめぐる。しかし、最もつらく悲しい思い出は場内のブラウン管の中には無かった。むろん、98年の天皇賞・秋である。  そうこうしているうちにレースが始まる。最初の3レースは未勝利戦だが幸先の良いスタートを切ることができた。というより最近午前中のどうでもいいような未勝利戦はよく当たるんだよな。午後に玉砕することが多いけど(^^;。

 11時にはfanaticススズ追悼団のみなさんと合流。府中から来た私を始めとして横浜、静岡、富山、山口等全国各地からこの日のために仁川に集まっていた。もちろん関西原住民も多かったけど。ここで、さしこーさんがオリジナルグッズを披露。Tシャツとパネルである。実費で提供するということだったが私は「最終レースが終わってから買うかどうか決める」という答えを返しておいた。勝てば買うし、負ければその時考えよう。この後はゴールの真ん前(2列目)に場所をとってもらってたので朝に私が確保した場所は破棄。ゴール前でレースを見る。

 さっきからBGMとして「夢の途中」(「セーラー服と機関銃」の元になった曲)や「セカンド・ラヴ」(中森明菜も歌った曲)等来生たかおの曲が流れているな、と思っていたら、なんかのイベントに来生たかおがゲストで来ていた。今年から使われる宝塚記念新ファンファーレは一般公募で選出されているが、その選定委員だったらしい。

 パドックで私より5歳ほど若い追悼団のメンバーの人が「サイレンススズカって殿堂入りしますかね?」と聞いてきた。彼のサイレンススズカを愛する気持ちは分かるが、「たぶん無理だろ」という答えをするしかなかった。結局勝ったG1は1つだけだし、「社会に与えた影響」というものがもし殿堂入りの基準になるのだとしても、ハイセイコーですら殿堂入りしていないのだから無理だと思う(・・とその時答えたのだが実は殿堂入りしていたらしい。いやはや、ここの読者の指摘で初めて知りました。)。サイレンススズカは競馬ファンには非常に人気があったが、ハイセイコーやオグリキャップのように競馬ファン以外の人にまで人気があったわけではない。残念だが。しかし、この日仁川へ足を運んだ人のすべてが「サイレンススズカメモリアルデー」だからという理由で競馬場にいるのではないにしろ、JRAがこういう「記念日」を作ってくれて、それに応えるように多くの人々が全国各地から集まってくれたのだから、サイレンスズカという馬は偉大な馬だということは間違いない。

 そうこうしているうちに準メインが終わると馬券収支はマイナス。メインの宝塚記念と準メインの馬券は準メインの前に買いにいったのだが、場内はメチャクチャ込んでいた。馬券を買ったら元の場所に戻るのがかなり大変。かなりの混雑ぶりだ。ここまでして競馬を見たいと言う人のなんと多いことか。呆れてしまう。自分もその中の一人なのだが(^^;しかし、本当に呆れたのはその混雑の中ゴール前付近で弁当食べてた姉ちゃん2人組。彼女ら2人は混雑する人混みの中、周りの冷たい視線を全く気にすることなく地面に座り込み、のどかに弁当を食べていた。こういう人間は神経がよっぽど図太いかあるいは神経なるものがが存在しないかのどちらかなのだろう。

 そしていよいよ宝塚記念の発走である。私の買った馬券はグラスワンダーとスペシャルウィークの馬連1点1万円。ウィナーズサークルで新ファンファーレが生演奏され、宝塚記念のスタートが切られた。ターフを1周してきて最後の直線、スペシャルウィークとグラスワンダーが抜け出す。一騎打ちになるかと思ったが、結果はグラスワンダーの圧勝。2着スペシャルウィークも3着以下を7馬身突き放す。3着にはお約束のようにステイゴールドが・・・。馬連の配当は2.0倍。堅いレースであり馬券的妙味はない(でも1万円勝負して当たったけど)。しかし、それ以上の感動をこの2頭(プラス1頭(笑))は私に与えてくれた。「仁川に来てよかったな」と。

 最終レースも終わり、ゴール前、パドック、ガラス張りのスタンドに散っていた追悼団員が噴水前にあつまる。この日はかなり暑かったせいもあり、みなさん疲れ気味。そこに自宅待機組の団長が登場。夜の部へと向かう。夜の部は宴会の予定だったが、新幹線で帰る人を考慮して新大阪で行われることになった。私は夜は不参加予定だったが、新大阪で行われると聞いて結局参加してしまう。新大阪のイタ飯やで食事をし、酒を飲む。何故か競馬の集まりの筈であるのに未成年が多く(注:彼らはたぶん馬券買ってません)飲まない人もいたが。この日の馬券収支は結局プラスだったので、さしこーさんのオリジナルTシャツ(サイレンススズカの写真の入ったやつ)を買う。

 そして8時過ぎに東京行きの新幹線にかけ込んで乗った。横浜から来た私より4歳ほど若い団員と一緒に帰った。追悼団にはギャンブル派が少なかったが(競馬を始めたきっかけというのをみんなに聞いて「ギャンブルから」と答えたのは10人中私1人だったし)、彼はギャンブル派だったのでギャンブルについて熱く語り合う。競馬を始めたのが中学生で始めたきっかけこそギャンブルではなかったが、いろんな意味で私以上に競馬に対して気合いの入った奴だった。

 横浜に着くと雨が降っていた。関西は暑いほど晴れていたのに。「桜花賞の日と同じだな」と一緒にいた男が言う。今年の桜花賞は彼も私も中山競馬場で見ていたらしいが、当日は中山は雨が降っていたのになぜか阪神では晴れて良馬場で桜花賞が行われていた。 日吉(だったっけか)で彼と別れた後、府中へ一人帰る。帰宅したのは次の日の午前1時。そして、数時間後には会社と仕事が私を待っていた。


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