そこにはみやこという店があった
東京競馬場西門を出て府中本町駅へと向かうオケラ街道沿いの道。そこには戦い終わった馬券師達の集う飲み屋街がある。決して豪華とは言えない、小屋に毛の生えた程度の店構えの店が並んでいる。店の中にはテレビがあり、グリーンチャンネルを流している。昭和30年頃から変わったことといえばカラーテレビがグリーンチャンネルを流していることぐらいと思ってしまうような雰囲気だ。そして、そこの客層は正統派競馬ファン、つまりドロドロの競馬オヤジが多い。そこではその日のレース結果を中心とした内容の濃い競馬談義があちこちから聞こえて来る。「ちくしょう、○○出遅れやがってよ、金返せ!」とか「やっぱり○○は府中で逃げ馬に乗るとダメだよな」等、馬券師達の本音がどこからともなく聞こえて来る。日本の良き競馬文化だ。とにかく、ここに来れば日本の競馬の真髄が味わうことができる。
しかし、その中でも私の特にお気に入りだったあの店はもうそこには無い。しばらく休業していたが、その1年後に建物ごと無くなってしまった。その店の名前は「みやこ」。本稿は、その店での思い出を語り、かつてそこに「みやこ」という店があったという事を後世に残していくために執筆する。
ある日、私は煙草をくわえながらその飲み屋街のあるオケラ街道を歩いていた。そして飲み屋街の奥から2番目の店「みやこ」の店先のテーブルに腰を落ち着けたのだが、そのテーブルには灰皿が置いていなかった。
厨房から顔見知りの店員のおばちゃんが「いらっしゃ〜い。何にしましょうか?」と威勢のいい声をかけてくる。
私はそのおばちゃんに負けないような威勢のある声で「灰皿!」と答える。
店員さんが灰皿を持ってきたのでビールを注文する。「キリンですね」と店員。この店にはキリンとアサヒの瓶ビールと中ジョッキがあるのだが、「ビール」といっただけでこちらの注文がわかるらしい。
この店を私が最初に気に入ったのはこの店のメニューの「揚げはんぺん」というものを食べた時に、妙に気に入ってしまったからである。「揚げはんぺん」とはチーズをいれたはんぺんを揚げたものである。マヨネーズをかけて食べるとメチャクチャ旨い(皿にマヨネーズが盛られて出てくる)。はんぺんは普通醤油を付けて食べるものだが、この揚げはんぺんはソースをかけて食べたほうが旨い。 さて、話を戻すと、ビールだけ頼んで食べ物を頼んでいなかったのでおでんやもつ煮を注文すると、店員さんが「メンチはどうですか?おすすめですよ」と声をかけて来た。そこで「揚げはんぺんは無いのですか?」と聞いてみた。揚げはんぺんは前述のように私の最もお気に入りのメニューであったが、残念ながらしばらく前にメニューから消えてしまっていた。おばちゃんが「揚げはんぺんはもっと寒くならないとやらないのよ。チーズが持たないから。もうちょっと寒くなったらやるからね。」と答えた。結局揚げ物が食べたかったのでメンチも注文してしまった。
この店はプリエミネンスの写真が飾ってあったりしてオーナーブリーダーであるグランド牧場と結びつきが強いらしい。グランド牧場はそのネーミングセンスや渋い血統から好きな馬主の一つである。この日は、以前来た時はなかった「ホンモノ」という生産者も馬主もグランド牧場の馬のゼッケンが店先に吊されていた。主戦騎手梶晃啓のサイン入りである。ちゃんと「みやこさんへ」とも書かれれている。梶騎手本人がこの店に来たのかどうかは不明ではあるが。
なぜ、みやこはグランド牧場と結びつきが強いのか?それはグランド牧場の親戚のTさんが常連であるからだ。そのTさんとの出会いは、1番人気スマートボーイが惨敗した01年の平安Sの日だった。その日のレース後、私はみやこで友人と飲んでいた。スマートボーイを軸にして惨敗を喫した友人が「スマートボーイよぉ、畜生!」とボヤいていた。その後、飲み屋での我々の話題は珍名馬の話題となり、ダイタイチョウとかチュウタイチョウとかという馬の名前が出てきて盛り上がった。そして、店を出ると後ろから初老の紳士が、「青年!」と突然話しかけてきた。それがTさんである。
「さっきダイタイチョウとかチュウタイチョウとか話していたよな。俺はそのダイタイチョウとかチュウタイチョウとかの馬主の親戚なんだ。今後ともよろしくな。」
家に帰ってから調べてみると、それらの馬は馬主も生産者もグランド牧場であるようだ。
グランド牧場といえば粋な名前の馬が多いことで私のお気に入りの馬主である。オトコップリ、カミワザ、ホンモノ、イッポンゼオイ等、例をあげればキリが無い。この時代にはまだデビューしていなかったが、フェスティバルとかカミノヤマボーイなど粋な名前が多い。そして、よくよく調べてみると、スマートボーイもそのグランド牧場の馬であるのだった。友人があれだけスマートボーイに対してボヤいていたにもかかわらず、Tさんは、スマートボーイのことには一切ふれなかった。なかなか人間のできた紳士である。その初老の紳士がTさんなのである。彼の生まれは同じ静内の高栄牧場であるが、お姉さんがグランド牧場に嫁いでいて、それでグランド牧場との結びつきが強いらしい。
みやこには、プリエミネンスやスマートリーダーといったグランド牧場の馬が勝った時の口取り写真が飾られており、Tさんがが写っている。他の写真は?重賞を勝った時の写真は無いのか?などと野暮なことを聞いてはいけない。店に飾ってある写真は、Tさんがグランド牧場代表として口取りに参加した時の写真だけが飾ってあるのだ。
私はみやこを初めとする府中の西門の、味のある雰囲気の飲み屋街が好きで、西門飲み屋街の(非公認)ホームページを作っている。自慢じゃ無いが、日本一の西門のページだ。何故なら、いくら検索をかけても西門のページは存在しないからである。というよりもそういうページを探しても無かったので自分で作ってしまったのである。
ある日みやこでビールを飲んでいたら、店員さんが話しかけて来た。
「お兄さん、インターネットの書き込みとかする?」
「書き込みって掲示板とかですか?」
「うちの店のことが書き込んであったみたいだけど、そのことを書いたのお兄さんたちのうちの誰かじゃないかしら。」
「僕はホームページを作っていますし、それ以外にもいろんな掲示板に書き込みをしているけど具体的にどういうページですか?」 「私も直接みたわけじゃないけど、西門のコーナーがあって珍メニューだとかうちの揚げはんぺんのこととかが書いてあるところがあるみたい。」
すると一緒にいた友人が私を指しながら「それはこいつのページですよ。」と言った。Tさんがそのページを見つけて、プリントしてこの店にもってきたらしく、インターネットを全くやらない店の人にそのページの存在が知られてしまっていた。Tさんの様な年金暮らでインターネットはあまりやらない世代の人が私のページを見つけたというのは恐れ入る。
前述の「何にしましょうか」と言われて「灰皿」と答えたやりとりを店員が覚えていて、それでそのページが私のものであるということがほぼ特定できたらしい。
Tさんがプリントしたものを店に持ってきたときは、「それを書いたのは誰なのか」という話で盛り上がっていたらしい。「みやこ」を紹介したお礼として店員さんがビールを一本おまけしてくれた。そして、そのページには揚げはんぺんのことが書いてあったのでTさんが店員に吹き込んだらしく、メニューには載っていない筈の揚げはんぺんが出てきた。また、Tさんはその後この店に私が行くとビールをおごってくれるようになった。
03年の平安Sで私はスマートボーイから流して20万馬券を当てた。私の馬券人生で最高の的中である。この日も私はみやこに向かった。Tさんにお礼を言うためである。彼が店に入ってくるや否や、私は「ありがとうございました。スマートボーイを軸にして20万馬券を稼がせてもらいました。」とお礼の言葉を述べる。すると「俺もスマートボーイから買ってたんだけどなぁ。2着の馬(クーリンガー)を買ってなかったよ。」と言う答えが返ってきた。馬券は外したものの、グランド牧場の馬が重賞を制し、彼の表情はにこやかだった。2年前、スマートボーイが平安Sで惨敗を喫した時の「出会い」が無かったら、ひょっとしたらこの日の20万馬券的中はなかったかも知れない。もちろんその日のその店ではスマートボーイの話題で持ちきりであり、愛馬が勝ってご機嫌のTさんにビールを奢ってもらった。馬券成績を考えるとこっちが奢らなければいけないぐらいなのに。
この様な思い出のあるみやこであるが、04年の秋頃に「当分の間休業します」という貼り紙をしたまま店が閉ざされているようになった。Tさんの姿も見かけなくなった。再開を楽しみにしていたのだが、約1年後にその店は取り壊されていた。みやこが休業状態になる少し前に隣の店が廃業していたのだが、ついにみやこまでが無くなってしまった。その思い出の地には今は何もない。空き地がポツンとあるだけである。その空き地を見るたびに過去にその店に出入りしていたことが思い出されるのであった。
[あとがき]
- 今回の作品は2004年に一次選考を通過した「府中の西門前」に似たようなテーマであり、使い回した部分もあるが、やはり2番煎じだったことが落選の原因となったようだ。しかし、「みやこ」という愛着のある店が廃業するといった非常にショッキングな事件があったので、勝負になるかどうかは別としてこのネタをかかなければいけないと思ったので、一昨年に引き続き西門ネタとなった(他にネタが浮かばなかったからというのもあるのだが)。個人的には一昨年よりもデキは上だと思うが、あまりにマニアックすぎたかな。