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2015年度優駿エッセイ賞落選作品 盛岡探訪記

15/11/1

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2015年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(11年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。

盛岡探訪記

 駅前でバスに乗り込むと、そのバスは市街地を通りぬけて徐々に人里を離れてやがて山道を登って行く。一体どこへ向かって行くのだろう?乗客には競馬新聞を読みながらレースの予想をしている人が多い。しかし、我々を乗せたバスは競馬ができるような平地などありそうもない山の中へとどんどん向かっている。本当に競馬場に着くのだろうか?そんな思いに駆られながら、バスは目的地へと向かっていった。そこには山を切り崩してならして作った平地に山の中とは思えない豪華なスタンドを備えた競馬場があった。
 そこは盛岡競馬場。通称オーロパーク。地方競馬で唯一ダートと芝の両コースを兼ね揃えた大きな競馬場である。私が初めてそこを訪れたのは東日本大震災より半年前の南部杯の日だった。盛岡を中心とした青森県の西半分と岩手県の北半分は旧南部領であり、現在も南部地方と呼ばれる。その日まで南部杯というレースは、地名を冠したレース名と思っていたのだが、実は人名に由来するレース名であった。南部杯とは江戸時代に馬産を奨励し、全国一の馬産地となった南部藩の功績を讃えて創設されたレースだそうだ。表彰式には現代の南部家の当主がプレゼンターとして登場した。日本の馬産に大きな貢献をした大名家の名前を冠した由緒あるレースだったのである。

 私が初めて盛岡競馬場を訪れてから約半年後、東日本大震災という未曾有の災害が東日本を襲った。盛岡競馬場も大きな被害を受けた。まもなく競馬開催は再開されたものの、南部杯は盛岡競馬場では開催できなかった。その年の南部杯は盛岡競馬場と提携をしている東京競馬場で行われることとなった。岩手県競馬のレースではなくJRAのレースとして南部杯が行われたのである。府中在住の地元民の私は当然の如くその南部杯を観戦に行った。奇しくも2年連続で南部杯を生観戦することとなった。その南部杯はJRAのレースとしての開催だったが、ファンファーレは盛岡開催と同じものが使われた。ファンファーレを聞いた時、涙が出そうになった。JRAのファンファーレだと味気ないものとなったであろう。一時は開催も危ぶまれたが、どうにか形になっている。場内モニターに東日本の地図が現れ、盛岡の場所から出てきた虹が府中の場所まで架かった。画面上の虹の橋の上を馬が走って行く。それは単に盛岡と府中を繋いでいるのではなく、地方競馬と中央競馬を橋で結んでいるように見えた。日本では中央競馬と地方競馬という異なるシステムで行われている競馬が存在する。私が競馬を見始めた頃はそれらの間にはまるでベルリンの壁の様な強固な壁が存在した。しかし、今では完全には崩壊していないものの、壁は低くなりつつある。騎手や馬の交流も昔よりも増えてきたが、時にはその南部杯の様にレース自体も代替開催をしたりして交流を図ることもある。同じ国で同じ競馬という競技を行っているのだから、両者の壁が低くなるのは良いことだ。

 それから3年後、盛岡競馬場で競馬の祭典JBCが開催されることとなった。盛岡での開催は12年ぶりであり、偶然なのか必然なのか共に午年である。JBCを始めとして中央地方の交流レースが行われるようになったのも、両者の壁が薄くなった賜物だろう。そのJBCを観戦するために、私は盛岡競馬場へと向かった。お目当てのレースはJBC3レースの中でも最も賞金が安く最も歴史の浅いJBCレディースクラシックだった。中央競馬に所属するある一頭の馬を追いかけていたのだ。

 その馬の名はサンビスタ。私が一口馬主として出資している馬である。一口出資馬の中でもその馬は特別思い入れのある馬だった。
 私はオーナーブリーダーであるグランド牧場のファンである。ファンになったきっかけは粋な名前の馬が多いからというものだ。カミワザ、ホンモノ、イッポンゼオイ、オトコップリなど粋な馬名は枚挙にいとまがない。つまり当初は「生産者」としてよりも「馬主」としてのグランド牧場のファンだったわけだ。そのグランド牧場のホームページを見ていて、ユニオンオーナーズクラブ提供馬というコーナーで見つけたのがホワイトカーニバルの09、のちのサンビスタであった。父スズカマンボ、母ホワイトカーニバルという父も母もグランド牧場生産の馬が募集締め切りギリギリまで残っていた。母は重賞勝ち馬であり父も地味ながらそこそこ活躍馬を出している種牡馬なので血統的な魅力は十分だ。また、その馬はかの名門角居勝彦厩舎に入厩予定である。角居調教師といえば単に調教師としての成績が良いだけではなく、グランド牧場の元社員であるので、そこの生産馬は大事に使ってくれるだろう。そんな魅力的な馬が残っているのなら出資するしかないな。というわけでその年の2歳馬の募集ギリギリになってユニオンオーナーズクラブに急遽入会し、サンビスタ号に出資することとした。この馬のために一口馬主のクラブに入会してしまった、そんな馬なのである。一口馬主自体は別のクラブで以前からやっていたが、そこに入った理由は特定の馬に惹かれたというよりは一口馬主というものをやってみたかったので庶民的な500口のクラブに入会したというものである。しかし、ユニオンは200口のクラブであり、出資額も高いが手にすることができる賞金も高い。そんな(私にとっては)ハイリスク・ハイリターンな一口クラブに入会するきっかけとなった馬、それがサンビスタである。

 サンビスタはその年の8月に門別競馬場で行われたブリーダーズゴールドカップで1番人気のワイルドフラッパーを破って念願の重賞制覇を果たした。私にとっての一口出資馬初重賞制覇でもある。その翌月のJBCレディスクラシックの前哨戦である大井のレディスプレリュードではそのワイルドフラッパーに敗れ2着だったが、今回もその宿敵のワイルドフラッパーと同じレースを走ることとなった。この2頭の一騎打ちムードが漂っていた。馬券の方もこの2頭が1着2着になる前提で三連単を買った。
 盛岡競馬場で満を持して馬券を買い、スタンドに腰をかけていると、隣に座っっていたおじいさんが話しかけてきた。「あんたどこから来たの?」と聞かれたので「東京から」と答えたら「やっぱり、他所から来たんだな。この辺じゃ見かけないもんな。」と言われた。盛岡競馬場では常連客はみんなこの人と顔見知りなのだろうか?そこで、そのおじいさんに、一口馬主をやっててサンビスタという出資馬が次のレースのレディスクラシックに出るので応援に来たという話をした。
 さて、いよいよレースの開始時刻となった。南部杯と同じファンファーレが演奏されて各馬ゲートイン。しかし、ここで尻餅をついた馬がいて、馬体検査となった。検査の結果異常はなく、ファンファーレからやり直しである。二度目のゲートインは問題なく進み、無事にゲートが開き数分遅れのスタートとなった。
 サンビスタはいつもよりも前につけて、1番人気馬ワイルドフラッパーの少し前を進んでいった。コースをぐるっと周ってきて直線に差し掛かると、先に仕掛けたのはワイルドフラッパー。サンビスタは直線で一旦先行を許したが、すぐに外に持ち出してワイルドフラッパーに被せる。二頭の一騎打ちが続いたが、残り20mぐらいでサンビスタが振り切り、先頭でゴールを走り抜けた。激しいデッドヒートに終止符が打たれた時点で3番手にいたのはトロワボヌール。脚色からして他の馬は3着にも届きそうにない。トロワボヌールは三連単流しの相手として持っていたので馬券も的中だと思った。しかし、トロワボヌールの勢いがあり過ぎ、ゴールの直前でワイルドフラッパーをも交わして2着となった。ワイルドフラッパーが2着のままなら馬券の方も三連単的中だったが、最後の最後で馬券はハズレとなった。獲ったと思った馬券がゴールギリギリで外れとなり、そのまま座席にへたり込んでしまった。落胆している私の目の前に「おめでとう」という声とともに手が差し出された。レース前に話をしていた地元のおじいさんだった。手を差し出されて我に帰った。馬券は外れてしまったが、とにかくサンビスタが勝ったんだ。出資馬がついにJpnIを勝ったんだ。馬券の結果も重要だが、もっと重要なのは愛馬の着順だ。我がサンビスタは堂々の1着なのだからこの上なく喜ばしいことであろう。JBC3レースの中で最も賞金の安いレディスクラシックだが、とにかくJpnIを勝ったのだ。
 サンビスタを勝利に導いた岩田騎手は勝利騎手インタビューで「盛岡のファンの皆さんに一言」と言われて「次のレースも頑張ります。馬券買って下さい。」と言っていた。そして次のレースであるJBCスプリントでは岩田騎手騎乗のドリームバレンチノが勝利を収めた。公約通りの勝利。しかし彼の「馬券を買って下さい」という懇願に私は応えられなかった。JBCレディスクラシックがスタート時のアクシデントがあってスタートが遅れ、次のレースは定刻通り発走で時間的な余裕がなく、愛馬の勝利の余韻に浸っていたら締切となっていて、馬券は買えなかったのである。
 その次のレースは普通の人にとってはメインレースであるであろうJBCクラシック。ここでも岩田を狙ってみるかと思って出馬表を見ると、その岩田は騎乗してなかった。JBCクラシックは普通の馬券師に戻って、純粋に楽しもう!


[あとがき]
 今年は旅打ちネタと一口馬主ネタを織り交ぜてみました。最近は一口馬の出走レースを見る以外の旅打ちはあまりしていないのですが、出資馬がGIを勝ったというのは素晴らしい思い出でした。まあ、私がそこにいようがいまいが結果は変わらないだろうから単なる自己満足なわけでありますが。

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