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2017年度優駿エッセイ賞落選作品 鉄道廃線跡とオケラ街道を行く

17/10/29



 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2017年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(13年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。


鉄道廃線跡とオケラ街道を行く

 鉄道の廃線跡を歩く。それは、鉄道ファンの中でも、かなりマニアックな部類に入る趣味だろう。現役で走っている鉄道に乗ったり駅を訪れたりするわけではない。かつてそこに鉄道が走っていた場所を歩くというものである。「昔はここに鉄道が走っていたんだろうな。鉄道が走っていた頃はこの辺の景色はどんな感じだったのだろう?」などと、目の前にある今の景色と脳内にある想像の景色をダブらせ、感傷に浸りながら歩くのだ。
 私はそこまで本格的な廃線跡巡りの趣味はないのだが、近所に手頃な廃線跡があり、たまにそこを歩いている。下河原緑道という緑道である。北府中駅のやや南にある緑地公園に小さな駅舎を模した休憩所があり、その前にはレールが埋め込まれている。そして、そこから緑道が続いている。歩行者と自転車しか通れず、地元の人が散歩やジョギング、サイクリングなどに利用している。その緑道が下河原線という鉄道の廃線跡なのである。その道をまっすぐ南に行けば府中市郷土の森公園にたどり着くが、途中の分岐を東に曲がって府中街道まで行くと東京競馬場が見えてくる。そこで、私は緑道を散歩するついでに競馬場に立ち寄っている。というのは半分は嘘。競馬に行くついでにその緑道を散歩しているというのが正しい。
 かつてそこを走っていた下河原線は、大正時代に多摩川の砂利を運ぶための貨物鉄道として敷設された。中央線の国分寺駅から分岐して砂利の採掘所のある下河原駅まで走っていた。それが「下河原線」の名前の由来である。昭和8年、府中の地に東京競馬場が目黒から移転してきた。その時、東京競馬場に行く乗客を運ぶために旅客営業も始めたそうだ。
 東京競馬場前駅は競馬場の現在のJRの最寄り駅である府中本町駅より200メートル南の場所にある。競馬場には東京競馬場駅の方が近い。しかし、昭和48年、武蔵野線の営業が始まると、東京競馬場前駅は役目を終えた。武蔵野線とほぼ並行して走る下河原線の旅客営業は終わり、廃線となったのである。なお、前述の駅舎風休憩所より北の部分はほぼ現在の武蔵野線沿いのためか、廃線跡はほとんど残されていない。下河原緑道は鉄道が1台だけ通れそうな道であり、2台の車両はすれ違えそうにない。つまり、かつてここを走っていた下河原線は単線だったのである。自ずと輸送力は限られて来るだろう。そこで、複線の武蔵野線が府中本町に開通してほぼ下河原線と並行して走るようになると廃止になったのも無理はない。競馬の開催されている土日以外は少なくとも北府中−東京競馬場前間は乗客も少なかっただろう。昭和48年といえばタケホープがダービーを勝った年である。ハイセイコーブームの年と言ったほうが分かりやすいかもしれない。ハイセイコーが空前の競馬ブームを巻き起こし、競馬の大衆化とさらなる発展に繋がった歴史的な年である。競馬界にとっては輝かしい時代の始まりだが、その年はオイルショックが起きて日本が最も輝いていた時代とも言われる高度成長期が終焉を迎えた。そのような歴史の転換点に、東京競馬場前駅は役目を終えた。私の生まれる1年前のことだった。そんなことを考えながら廃線跡を歩く。

 東京競馬場を西門から出たところにあるオケラ街道沿い。そこには戦い終わった馬券師達が集う飲み屋街がある。決して豪華とは言えない、小屋に毛の生えた程度の店構えである。そこの客層は正統派競馬ファン、つまりドロドロの競馬オヤジが多い。その日のレース結果を中心に内容の濃い競馬談義があちこちから聞こえて来る。「ちくしょう、○○出遅れやがってよ、金返せ!」とか「やっぱり○○は府中で逃げ馬に乗るとダメだよな」など、馬券師達の本音がどこからともなく聞こえて来る。日本の良き競馬文化だ。とにかく、ここに来れば日本の競馬の真髄を味わうことができる。
 その飲み屋街は東京競馬場西門から府中本町駅へと向かう最短距離にあるわけではなく、数件目からはやや南寄りに分岐する道沿いに続いていた。初めて訪れた時は「何故そっちの方向に向かって並んでいるのだろう?」と思っていた。その理由が分かったのはしばらく経ってからだ。昔はその方向に東京競馬場前駅があったのである。競馬帰りの客(その多くはオケラ)が歩いている道を「オケラ街道」というが、その言葉は狭義には「競馬場などのギャンブル場から最寄り駅に向かうまでの道」のことである。駅があった昔、飲み屋街が面している道は厳密な意味でも「オケラ街道」だったのだ。駅が無くなってから40年以上経っても、その飲み屋街は元東京競馬場前駅に向かう道が府中街道に突き当たるまで続いて連なっていた。店のテレビがグリーンチャンネルを流している以外は高度成長期の面影がほぼそのまま残っている。ノスタルジックな意味で「昭和」という場合、高度成長期のことを指す場合が多いが、その「昭和」がそのまま残されていたのである。ハイセイコーの登場以来、徐々に中央競馬は大衆的なレジャーとなった。競馬場も近代的なレジャー施設に改装された。それでもやはり競馬の原点はこのような「濃いオヤジ」たちの集まるところにあるだろう。ハイセイコーブームあたりで時間が止まってしまったような空間に、上辺だけではなく骨の髄まで競馬色に染まった正統派馬券師達が集い、競馬談義に花を咲かせている。

 私はその西門の店でも奥から二軒目にある「みやこ」という店がお気に入りだった。ここのメニューの「揚げはんぺん」というチーズ入りのはんぺんが好きで、よくその店に行った。その店にはプリエミネンスの写真が飾ってあった。オーナーブリーダーであるグランド牧場と結びつきが強いらしい。「ホンモノ」という生産者も馬主もグランド牧場の馬のゼッケンが店先に吊されていた。主戦騎手梶晃啓のサイン入りと共に「みやこさんへ」とも書かれている。
 なぜ、みやこはグランド牧場と結びつきが強いのか?それはグランド牧場の親戚のTさんが常連であるからだ。そのTさんとはその店で知り合った。グランド牧場にはどんな馬がいるのかを調べてみると、粋な名前の馬が多いことが分かった。オトコップリ、カミワザ、ホンモノ、イッポンゼオイ等、例をあげればキリが無い。その時はまだデビューしていなかったが、フェスティバルやカミノヤマボーイなど粋な名前が多い。そして、私が大ファンだったスマートボーイもそのグランド牧場の馬である。その店には、プリエミネンスやスマートリーダーといったグランド牧場の馬が勝った時の口取り写真が飾られており、Tさんがが写っている。他の写真は?重賞を勝った時の写真は無いのか?などと野暮なことを聞いてはいけない。店に飾ってある写真は、Tさんがグランド牧場代表として口取りに参加した時の写真だけが飾ってあるのだ。
 しかし、そのみやこも2005年に店をたたんでしまった。隣にあった「田中屋」がまず閉店し、その約1年後にみやこまでなくなってしまった。
 すっかりグランド牧場のファンになってしまった私は、そのグランド牧場の生産馬の一口馬主となることとなった。グランド牧場のホームページを見て目に止まった馬がホワイトカーニバルの09。ホワイトカーニバルは生産も馬主もグランド牧場の重賞馬だが、その馬の父は馬主こそ違えども同牧場生産のGI馬スズカマンボだ。血統的にも魅力なので、その馬が募集されていた一口馬主クラブであるユニオンオーナーズクラブに入会し、一口出資することとなった。サンビスタという名前で競走馬となったその馬は重賞を勝ち、さらにJBCレディスクラシックとチャンピオンズカップというGIを2勝した。特にチャンピオンズカップは口取りにも参加することができた。西門の飲み屋での出会いが、私をそこまで導いたのである。しかし、そのきっかけとなった「みやこ」はすでに無くなっていた。サンビスタのGI勝利後にTさんとまた飲みたかったが、飲み屋ではよくお会いしていたものの連絡先の交換はしていなかったのでどうしようもない。

 そして今年、府中本町への最短距離の道と分岐する所より先の店が全て取り壊されてしまった。競馬場に近い側から六件を残して取り壊されてしまったのである。跡地には囲いができていて「マンション建設予定地」と書かれた看板が建っていた。以前は12件あった店が、半分まで減ってしまった。非常に悲しいことである。しかも、そのマンション建設予定地となっていたのは飲み屋があった場所だけではない。道路だった部分も含めて囲いができていた。単に建物が取り壊されて代わりの建物が建つだけではないのである。道自体がなくなってしまったのだ。かつてその方向に東京競馬場前駅があったという名残自体がきれいさっぱり無くなったのである。今は競馬場から府中本町駅に向かう遊歩道沿いの数件だけが高度成長期を忍ばせる様に残っているだけである。半分ぐらいの店は残っているが、西に高層マンションが建つと、勝負が終わった後そこで飲んでいても沈みゆく西日を浴びて感傷に浸ることはできなくなるかもしれない。そのマンションには場所柄から競馬好きな人も住むことになると思うが、競馬場の帰り道、どのような思いで残された飲み屋が立ち並ぶ「オケラ街道」を歩くことになるのだろうか?残された店は日本の良き競馬文化を残していけるよう、いつまでもそこで営業し続けることを願う。
[あとがき]
 11年ぶりに東京競馬場西門ネタです。1次選考通過した時の作品は西門ネタだったのですが、今回は西門だけではなく周辺の鉄道史等も取り入れてみました。しかし、結果は1次予選であえなく敗退。鉄道廃線跡巡りと府中西門というマニアック×マニアックのネタを組み合わせたのですが、裏目に出たんでしょうか?なお、タイトルの「鉄道廃線跡とオケラ街道を行く」は宮脇俊三さんの鉄道廃線跡を歩くと司馬遼太郎さんの街道をゆくからヒントを得て付けたものです。

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