初めて競馬で「遠征」をしたのは96年3月の阪神大賞典の日だった。大学が東京だったこともあり、それまで関東圏の競馬場にしか行ったことがなかった。当時私は大学4年だったが、卒業研究が終わってようやくと時間ができた。貧乏学生だったので卒業旅行と称して海外に1〜2週間滞在というわけにもいかず、青春18きっぷを使ってのんびりと貧乏旅行をした。その時に立ち寄ったのが阪神競馬場である。
当時は重賞以外のレースは関東と関西で馬券の相互発売は行われておらず、中継もなかった。聞き慣れぬ本馬場入場曲やファンファーレが新鮮に感じられた。その時のことを今でも鮮明に覚えているのは、単に新鮮な体験だったからではない。
阪神大賞典というレース自体が凄かったのである。あのナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ちである。怪我で休養して以降調子の出なかった三冠馬ナリタブライアンの復活劇。そして、前年の菊花賞と有馬記念を勝ったマヤノトップガンが、3コーナーを過ぎたあたりで並びかけられると、ひたすらゴールまで並走していた。新旧王者の一騎打ちである。2頭の間隔は全く開かない。対象的に3番手以下の馬との間隔ばかり。2頭による一騎打ちはゴールまで続き、ゴールの瞬間もどちらが勝ったのかはわからなかった。鳥肌が立ち体が震えた。馬券が当たったか外れたかなどはどうでも良かった。ガラス張りの阪神競馬場の観客席で、隣りにいた同行の知人と無言のまま目を見合わせた。言葉も出ないくらいの感動的だった。単に実力が抜けているヒーローが勝つのではなく、強力なライバルがいて好勝負の結果執念で勝利を物にする。そんなレースこそが観るものに感動を与えるのだろう。
私は競馬を初めて間もない頃から障害レースが好きで、その前年の95年から毎年暮れの中山大障害を観に行っている。数えてみたら23年連続暮れの中山大障害を観戦していることになる。初めて生観戦をした中山大障害は6頭立ての少頭数で、3頭が競走中止をした。それでも日本一の難易度の障害コースで行われるレースの雰囲気は、普段の競馬では味わえないものだった。先頭の馬が直線に差し掛かると、スタンドからはまるで競技場に入ってきて最後にトラックを一周するマラソンランナーを向かえるように拍手が沸き起こる。そして、最初の馬がゴールしたときだけではなく、「最後に」完走した馬がゴールした瞬間も場内から暖かい拍手が沸き起こる。その1頭が前の馬からだいぶ離されていて、すでに着順は決定した後であってもだ。大障害は勝つことや上位入線することだけではなく、完走することに意義があるのだ。
中山大障害を観戦するのに絶好の場所は二通りある。
一つはスタンドで観ること。レース全体が見渡すことができる。スタンドで見るとき、私はたいてい大竹柵の真正面で観る。4コーナーの近くだ。普通のレースの場合、ゴール近くで観るほうが見応えがあるのだが、大障害コースの場合見どころは襷コース内の大竹柵や大生垣である。その大竹柵を馬達が飛び越えるところを真正面から観るのは迫力がある。また、近年は直線に置き障害が置かれるようになったので最後の障害飛越を間近で見ることもできる。
もう一つは内馬場で観ること。襷コースにある大竹柵や大生垣の近くで観ることである。言わずと知れた日本一難易度の高い障害である。レース全体の流れはあまりわからないが、迫力という点ではそこが最も魅力がある。
17年の暮れも押し迫ったその日、中山競馬場に着いたのは大障害の一つ前のレースが終わった後だった。船橋法典から中山入りしたこともあって、駅から遠い正面スタンドではなく内馬場の大生垣の前で観ることとした。レースの全貌を観るのには正面で観たほうが良いのだが、日本一ハイレベルな障害を間近で見るのも迫力があって良い。しかし、そのレースに限っていえば、正面スタンドで観たほうが良かっただろう。
道中はは大生垣の真ん前でスマホでグリーンチャンネルWebの中継を観ていた。アップトゥデイトが他馬を引き離して大きく逃げているようだった。
やがて襷コースの入り口に設けられた下って上るバンケットを登って、アップトゥデイトの白い馬体が姿を現した。他の馬はなかなか来ない。まずは大竹柵をアップトゥデイトが無事飛越。しばらくして他の馬たちもやってきた。大生垣寸前でオジュウチョウサンが二番手に立ち、そこから各馬大竹柵を飛越。前場無事に飛越した。全馬無事に飛越を終えて場内からは拍手が沸き起こった。
そこからさらに半周してくる間は馬たちの姿は見えなかったのでスマホの画面で中継を観ていた。やがて、アップトゥデイトが姿を現して、大生垣を飛越。大きく離れた他の馬たちも全馬無事飛越した。
これで目の前を馬が通り過ぎるのは終わりなので、モニター前に移動して続きを観ていた。アップトゥデイトは相変わらず逃げている。そして、オジュウチョウサンが徐々に上がっていく。2周目4コーナーあたりでアップトゥデイトを射程圏内に捉えた。他の馬たちは遙か後ろにいる。コースを挟んで反対側にあるスタンドから「おおー!」と響く歓声があがるのがわかった。
直線に入るとオジュウチョウサンが一完歩ごとに差を詰めていく。しかし、アップトゥデイトも負けじと粘っている。後続を大きく引き離す新旧王者の2頭によるマッチレース。残り50mを切ってもアップトゥデイトが粘っていたが、最後の最後でオジュウチョウサンが半馬身交わしてゴール板の前を駆け抜けた。熱いレースだった。
内馬場にいた私の周辺では、ほとんどの客が2頭の馬の強さばかりに目が行っていた。中山大障害といえば、最後の馬がゴールした瞬間に拍手が沸き起こるのだが、今回は2頭のあまりの強さに観客達はあっけに取られていた。もちろん私やその周辺の人達はモニター越しに観ていたというのもあるだろう。やはり、生でゴールが見えるスタンド側では拍手が起きていたのだろうか?2頭のマッチレースは非常に見応えがあったすばらしいレースだったが、全馬無事完走だということも忘れてはいけない。1頭も落馬せず、この大障害コースを完走したのだ。そういう意味でも素晴らしいレースといえるだろう。
上位2頭のはるか後ろで行われた3着争いも混戦だった。外から差してきた馬が最後に差し切ったように見えた。しかし、モニターが逆光で見にくく、その馬の帽子の色やゼッケンの番号は判別できなかった。隣りにいた見知らぬ人が「3着は15かな?」と話していた。15番はルペールノエルである。私は上位2頭絡みの三連複で勝負していたのだが、その本線で買っていたのがその馬だ。「3着は15ですかね。」とその人に声をかけた。「はっきりとはわからないけど15のように見えたよ。」と言われた。その人も上位2頭とルペールノエルの三連単を持っていた。逆光のモニターでよくわからなかったが「とりあえずおめでとうございます」と声をかけ、その場を離れた。そして、着順が発表されると3着はルペールノエルだった。というわけで馬券の方も本線的中である。その後「レコード」のランプが灯った。
この少し前に参加した一口馬主クラブの懇親会に高田騎手がゲストとして来ていた。中山大障害で騎乗するルペールノエルについて「中山大障害は強い馬がいますが、出るからには勝ちたいです。ルペールノエルの力をフルに発揮できるように頑張ります。」といった内容の挨拶していた。やはり強い馬は強かったが、次元の違う馬を除いた馬の中では最高着順を叩き出したのだから及第点だろう。
上位3頭は前年と全く同じ順番も同じだった。しかし、今回の14着より上の馬のタイムが前年の勝ち馬のタイムを上回っている。単純にタイムだけでは判断できないものの凄まじいレースだったということが分かる。
素晴らしいレースを見れた上に馬券も当って大満足である。しかし、ゴール前の攻防が見応えのあるレースだったので、スタンドで観たかった。しかし、彼らはただ走ったのではなく日本一のレベルの障害を越えて長丁場を戦ってきたのだ。レースは最後の直線だけで行われているわけではない。「途中」があるからこそ「最後」がすばらしいものになったのである。その「途中」の中でも最もレベルの高い障害で、彼らの勇姿を目に焼き付けることができた。それだけでも充分満足しなければならないだろう。
そのオジュウチョウサンは翌年の夏、福島の平地レースである開成山特別に出走してきた。3馬身差の圧勝だった。オーナーは今後も平地を使って有馬記念に出走したいと言っているが、中山大障害には出走しないのだろうか?J・GIを何度も勝ってきた馬が有馬記念というドリームレースに出走するのは楽しみではある。しかし、障害界のヒーローであるオジュウチョウサンにはやはり三連覇を目指して中山大障害に出走してもらいたい。どちらにも出て欲しいが同じ週なのでどちらかにしか出走できない。障害ファンとしては複雑な心境である。