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2024年度優駿エッセイ賞落選作品 名実ともに全踏破

24/10/25

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2024年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(20年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。

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名実ともに全踏破

 競馬に魅了されてからというもの、旅好きということも相まって、日本各地の競馬場を訪れる旅が私のライフワークになった。中央競馬の全10場を巡り終えたのは、競馬を始めて10年ほど経った2003年のことだった。小倉競馬場で一口出資馬シルクボンバイエの未勝利戦を観戦したときが、その記念すべき瞬間だった。それ以前に大井、川崎、高崎、高知、笠松、ばんえい岩見沢といった地方競馬場を訪れたが、他の競馬場はまだ訪れたことがなかった。旅打ちが好きな私は、その後も各地の競馬場を訪ね続け、2016年の北陸新幹線開業の翌年には、夏休みを利用して金沢と園田へ向かい、佐賀競馬場だけが未踏となっていた。そして、2024年、ついに日本の競馬場の中で唯一まだ訪れたことのなかった佐賀競馬場へ行くことを決心した

 2024年はJBCが初めて佐賀で行われる年であるが、JBCの日はさすがに激混みとなるだろう。初めて行くには向いていないかもしれない。そこで、ちょうど三連休の最終日である建国記念の日に行われる佐賀記念の日に佐賀に遠征することにした。前日、東京競馬場で共同通信杯を観戦した後、そのまま羽田空港に向かい、飛行機で福岡空港へ飛んだ。福岡空港から鉄道で鳥栖駅まで移動して、鳥栖駅前のホテルに宿泊した。ちなみに、佐賀競馬場は名前は佐賀だが所在地は佐賀市ではなく隣の鳥栖市である。

 鳥栖駅前のホテルに宿泊し、翌朝10時頃にホテルを出発した。せっかく旅打ちをするのだから「打ち」の方だけではなく「旅」の方も楽しみたい。そう思ったが、鳥栖といっても佐賀競馬場以外に名所らしきものが思い浮かばない。とりあえずその辺を散策する。10時頃にホテルを出たのだが、佐賀競馬場第一レースの発走は13時と時間的な余裕があり、天気も良かったので、鳥栖駅前から佐賀競馬場まで歩いていくこととした。路線バスは出ているようだが、おそらく本数が少ないだろうし、バス停を探すのも面倒だ。

 鳥栖駅から佐賀競馬場までは徒歩一時間半弱の距離で、歩くには遠いがウォーキングだと思えば程よい距離だ。歩いている途中で見つけた九州ラーメンの店で腹ごしらえをしつつ、佐賀競馬場まで徒歩で向かった。

 そして、ついに佐賀競馬場に足を踏み入れる。日本全国全競馬場踏破の瞬間だ。駐車場には多くの車が停まっていたが、場内は意外と空いていた。昭和のノスタルジアな雰囲気がほどよく残っている。パドックでの馬を見つつ馬券を買い続けたが、前半は全く当たらなかった。しかし、後半には少し盛り返し、メインの佐賀記念ではほぼトントンの状態にまで回復した。佐賀記念が近づくにつれて、観客の数も増えてきた。

 佐賀記念では地元佐賀出身の川田騎手が騎乗するグランブリッジを頭に三連単頭流しで勝負した。しかし、結果は4角で先頭に立った武豊騎手のノットゥルノが直線で後続を突き離す完勝だった。59kgの斤量を懸念して評価を下げていたのだが、全く問題がなかった。私の本命馬は4着に終わり、馬券には絡まなかった。

 その後、ナイター開催のレースが2レースあったが少し観戦したが、帰りの飛行機に遅れないように、1レースだけ観て帰ることとした。腹ごしらえに食堂でホルモン定食を食べたが、レースに間に合うように急いでかきこんだ。もっと味わって食べたかったのだが、せっかくの遠征なのでレースを見るのが大事だ。そのレースはホッカイドウ競馬所属で佐賀に短期移籍している石川倭騎手の馬が勝った(私の馬券はハズレ)。この日は石川倭騎手が勝ちまくっていた印象がある。

 新鳥栖駅までタクシーで向かおうとタクシー乗り場の場所を案内所の人に聞いたら「呼ばなきゃ来ないよ」と言われ、タクシー会社の電話番号を教えてくれた。しかし、タクシー会社に電話すると「今日は特別で競馬場への予約は受け付けておらず、空車を回している」とのことである。普段は待ってるだけだとタクシーは来ないが、今日は空車がやってくるので予約はできないようだ(おそらくJBCの時もそのような措置をとるのだろう)。
 タクシー乗り場で待っている見知らぬ人に声をかけたら、行き先が新鳥栖駅だったので一緒に乗って料金を半額に浮かした。初対面の彼とはタクシーの中で競馬談義に花が咲いた。
 新鳥栖駅から新幹線で博多へ向かい、帰路につく。一駅だけではあるが、九州新幹線に初めて乗った。

 「現行開催全競馬場踏破」と書いたのだが、厳密に言えばまだ足を踏み入れていない競馬場が一つあった。「名古屋競馬場」には何度も行ったことがあるのだが、それは名古屋市内の土古にあった競馬場である。現在は弥富市に移転しており、弥富市にある名古屋競馬場には行ったことがなかった。そこで「名実ともに」全競馬場踏破を目指すべく、弥富の名古屋競馬場にも行くことにした。

 新・名古屋競馬場には名古屋グランプリの当日に行くこととした。ゴールデンウィークの最終日である。京都競馬場にもスタンド改装後は一度も行っていないので、その前日には京都競馬場にも行った。もちろん改装後初めてである。私の住んでいる府中にある東京競馬場ではNHKマイルカップが行われていたが、私は京都競馬場にいた。

 ゴールデンウィーク中ということもあり京都のホテルはどこも高かった(そもそも予約できるホテル自体が少なかった)ため、その日のうちに名古屋に移動して名古屋のホテルに宿泊した。

 そして名古屋グランプリ当日。名古屋駅前にある名鉄バスセンターから名古屋競馬場行きのバスが出ているのだが、10時15分頃に名鉄バスセンターに着くと、10時15分にバスが出たばかりで次のバスは11時30分だそうだ。間が空きすぎなので、11時半まで名古屋駅周辺を適当にぶらつきながら待ち、ようやくバスにようやく乗り込んだ。旧名古屋競馬場はあおなみ線の駅から近く交通至便だったのだが、新競馬場は元トレセンということもあってか、交通の便は良くない。

 バスに揺られること約40分、弥富市にある新・名古屋競馬場に到着である。これで名実ともに国内全競馬場踏破達成である。佐賀に行った時に「名」の方はすでに達成していたのだが、弥富の競馬場に行ったことで「実」の方も達成した。

 新競馬場はもともとトレーニングセンターだった場所を改造したもので、小ぢんまり
とした印象を受けた。トレセンを改造して造った競馬場といえば門別競馬場もそうだが、直線の長い門別とは異なり、名古屋競馬場は直線が短く小ぢんまりとした印象だった。旧競馬場の名物と言えば土手煮や味噌カツが思い浮かぶが、新競馬場にはそれらが見当たらなかったため、屋台のオムソバで昼食を済ませた。

 メインレースの名古屋グランプリは、ディクティオンを本命とした。しかし、最後の直線でデジャヴを感じた。まるで佐賀記念のVTRを観てる様だった。またしても武豊騎手を背にしたノットゥルノが独走態勢で、先頭でゴールを駆け抜けたのであった。佐賀記念は好位から4角先頭だったのに対し、名古屋グランプリでは大逃げに近い逃げを打って着差も大差だったという違いはあるが、全競馬場踏破を懸けた私の遠征でメインレースを快勝したのはともにこのコンビだった。

 私の本命ディクティオンは4着だった。本命馬が4着というのも佐賀記念と同じだ。私の全競馬場踏破達成のための遠征の結果は名実の「名」の方も「実」の方もメインレースの交流重賞で武豊のノットゥルノが快勝し、本命馬が4着という結果に終わった。

 これで国内の現行開催全競馬場に行ってレース観戦をしたことになるのだが、どの競馬場への訪問も、それぞれが特別な思い出となっている。旅打ちはレース観戦だけでなく、その土地の文化や歴史に触れられる機会でもあり、私にとっては単なる「打ち」以上の体験だ。今までの旅は終わりではなく、新たな旅の始まりである。これからも日本中の競馬場を巡る旅を続け、新たな発見をしたり、さらなる思い出を刻んだりしていくことを楽しみにしている。


[あとがき]
今回は旅打ちがテーマの作品です。この1年で私にとって最大の出来事といえば、佐賀競馬場と名古屋競馬場に行って「名実ともに」日本国内の全競馬場を踏破したこと。両方ともメインレースを勝った馬が同じ馬だったのも想い出深いので、その2つの遠征を旅行記としてまとめてみました。

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