新幹線は自由席だが仙台まで座ることができなかった。盛岡で特急はつかり函館行きに乗り換える。このはつがりが自由席だったのだがえらい込みよう。通路に立った客があふれかえり蒸し暑い。客車というより人員輸送車だ。八戸でどうにか座ることができた。青森をすぎるとそんなに込まなくなったが。青森駅で「海峡弁当」という駅弁を買い車内で食べる。青函トンネル内では落ち着いてきたので北海道旅行の観光ガイドを読んで「予習する」。実はこの旅の計画は函館・札幌の競馬以外立ててないし。電車に乗っている間に函館に着くのは時間という点でみても便利なんだが、やはり連絡船のほうが「旅情」というものがあっただろうな。
ということで函館では港につながったままになっている摩周丸に立ち寄る。摩周丸は青函トンネル開通まで青函連絡船として活躍した船だが、今では改装され青函連絡船博物館みたいな感じでいろいろ連絡船にまつわるものが展示され、函館港に浮かんでいる。ちなみに青森港には同じような形で八甲田丸がある。私は八甲田丸より摩周丸のほうが愛着がある。というのは14年前小学校の修学旅行で青森から函館にいく際に摩周丸に乗ったからだ(ちなみに帰りは大雪丸)。私が連絡船に乗ったことがあるのはその1往復だけであり、今後も当然ないだろう。14年前に私を乗せて津軽海峡を渡ったその船の中には、明治・大正・昭和という時代に青函トンネルが開通するまで本州−北海道間の人や物の移動を担ってきた連絡船の歴史が展示されていた。また、客室の一部をそのまま残してあった。14年前に私が乗ったときと同じままだ。
函館に着いた時は雨が降っていたが、しばらくして晴れた来たので夜景でも見ようと思い出かける。函館山へ向かうために市電に乗るが、函館山に行く前に赤レンガ倉庫周辺を散歩する。赤レンガ倉庫といっても開港したばかりの頃は倉庫として使われていたのかもしれないが、現在では倉庫としては使われておらず、お土産屋などとして使われている。いかにも近代的(明治・大正時代という意味の近代ね)な港町といった風情があってなかなか快適だ。疲れた足を休めるためあたりが薄暗くなるまでしばらく倉庫裏で海を見ていた。
そして山麓からロープウェイに乗り函館山へ。街中は暑かったが、ロープウェイを降りた瞬間「涼しい」と思った。そして、14年ぶりに100万ドルの夜景といわれる函館山の夜景を見る。14年前はガスがかかっていたが、この日は空に雲こそあるもののガスはかかっておらず、函館のパノラマのような風景が見渡せる。着いたときはまだ太陽の光が残っていたが、あたりが暗くなるにつれパノラマからの光は多くなる。まさに100万ドルの夜景にふさわしい光景である。写真ではその美しさはわからないだろうな。近くの光は町の様子を光だけで表現しているが、遠くの光は空気の「揺れ」(蜃気楼っていうんだっけ?)によって瞬いている。後ろにいたおっさんが「大都市の名古屋で高い場所に登ってもこんなにきれいじゃないのに、何で函館はこんなにきれいなんだ?」と不思議がっていた。きれいな夜景を作る条件には街の光が多いことも重要だが、「空気がきれいである」ということも重要な条件の一つなんだよな。遠くのほうで花火が上がっているのが小さく見えた。
この函館の夜景の写真を何枚か撮ったのだが、みんなフィルムが真っ黒なだけで、写真屋が現像すらしてくれなかった。やっぱり「写るんです(APS)」じゃうまく取れないのか。望遠レンズの付いたカメラで感度のいいフィルムを使わなければうまく取れないのかな。
この日は函館にあるカプセルホテルに泊まる。
そして函館駅前から市電に乗り本日のメインである函館競馬場へ。函館競馬場といえば「海が見える競馬場」。しかしゴールのまん前では海は見えない。函館山は見えるが。そこで2階席スタンドへ。こんどはちゃんと海が見える。3階の指定席等だともっと見えるのかな。大井競馬場だとカモメ(ユリカモメ?)が飛び交っているのだが、函館競馬場は海の近くにあるにもかかわらずカモメの姿は無い。ただし時折上空を飛行機が飛んで行くのは大井といっしょだ。某ライターが某メールマガジンで海が見える競馬場である荒尾競馬を紹介する際に「海が見える競馬場といえば函館も有名だが、函館競馬場は海よりも先に『洋服の青山』の看板が目に入ってくる」と書いていたが、洋服の青山の看板もちゃんと見える(笑)
この日のメインは函館3歳S。昼休みにはレース展望というイベントが特設ステージで行われていた。そのイベントに出場したのが、トウチュウに「これを買い〜の」という予想を書いている間寛平さんや、杉本清アナ、須田鷹雄氏、その他競馬ブックの予想家1名(名前忘れた)だ。この4人をステージのまん前でみた。その後、間寛平のミニトークが行われたらしいが、見るのを忘れてしまった。
馬券のほうは6千円ほどのマイナス。メイン函館3歳Sもエピグラフから流したため外れ。新潟のメインのBSNオープンではダイワオーシュウの単勝1点買いだったが、ダイワオーシュウが発走除外というお知らせが・・・。一気にテンションが下がってしまい、新潟のメインのレース中継は見なかった。
さて、この日は今年の函館開催の最終日で結構込んでいた。競馬終了後は込んだ市電やバスに乗るのも、と思い、五稜郭公園まで歩く。五稜郭公園では五稜郭タワーに登り、日本発の洋式城塞を上から見物する。
五稜郭から市電で函館駅へ。函館では今年で開港120年を迎えるそうで、この日から5日間お祭りがあるらしい。街は堤燈で飾られ浴衣姿の女性が歩いていてお祭りムードである。
夕食は朝市にある「寿樹たけうち」という店で「ジャンボラーメン」なるものを食べる。ジャンボラーメンとはエビ、カニ、ホタテ、ジャガイモ、トウモロコシ、そして函館名産のイカといった北海道各地の特産物が入った味噌ラーメンである。その味噌スープの味付けも店長がイタリアで修行中に思いついた特製スープらしい。TVや雑誌などでもよく紹介される有名な店だそうなので、函館を訪れた際はぜひ食べてみる価値のあるものだろう。
駅で北海道フリー切符を買う。北海道フリー切符は指定席も使えるため、札幌行きの快速夜行ミッドナイトの指定席を取ろうとしたが、すでにいっぱい。しかたがなく自由席を取ろうとする。場所取りのために早めにホームへ。そこにはザックを背負った登山家らしき人々もいた。私も大学時代ワンゲル部だったので大学時代を思い出す。最初合宿で北海道を訪れた際のパーティーのリーダーが高校時代鉄道研究会だった人なので、その人から周遊券を利用した貧乏旅行の極意を習ったんだよな。だから今こうして貧乏旅行をして歩けるのだな(寝るために夜行に乗るんだし)。あのころと今とでは鉄道事情も違ってはいるが。鉄道マニアは写真を取って歩いてるだけのオタッキーな人間よりも、こういう「乗る」ことを目的とした人間のほうが役にたつ。少なくとも私にとっては。
開港祭りなので港では花火が上がっていた。私は駅のホームからそれを見物していた。
雨だったので電車で更にどこかへ行く気にはならず、札幌市内観光。大通り公園近辺をぶらついたり、ラーメンを食べにいったり、ビルの谷間に埋もれて大して目立たない札幌のシンボル時計台を見にいったり。この時計台というのも昔は高いビルなどなかったので市内中から見渡せたんだろうな。今では周りがビルだらけだが。私の故郷の弘前でいうと中土手町にある一戸時計店の時計台(わかる人いるかな?)みたいなものか。
さて、この旅行ではばんえい競馬を見にいこうと思っていたのだが夕方持ってきたノートPCとPHSを使ってばんえい競馬のホームページを見ると、8/3まで岩見沢でやっているが、8/4からはないようだ。これは明日は岩見沢にいくしかないだろう。この時点でやっと次の日の行程が決まった。所詮土日の中央競馬以外は行き当たりばったりの一人旅だ。というわけで、この日は札幌のカプセルホテルに泊まり明日に備える。そのカプセルホテルは身分証明書さえあれば入会無料だそうなのでクレジットカードを見せて会員となってしまう。会員なら1泊サウナ付きで2500円だ。かなり安い。
ここでばんえい競馬とは何かを簡単に解説しよう。普通の競馬は馬に騎手がまたがり速さを競う。ところがばんえい競馬は、馬に重さ約500〜1000kgのソリを引かせ、騎手(というのだろうか?)はそのソリに乗って馬を操るレースである。途中には2箇所障害があり、まさに速さだけではなくパワーも競う競馬である。北海道開拓時代に荷物運搬用の馬を競わせるために始まったお祭りがベースとなっているらしい。世界中で北海道でしか行われていない競馬である。
さて、岩見沢の駅をおりて右側にあるバスターミナルへ。バスターミナルは岩見沢駅前にしては豪華すぎるほど立派なビルだった。そして競馬場行きのバスに乗りこむ。バスの中では子供が一緒に来ていたおばあちゃんに「どこいくの?」と聞いておばあちゃんが「お馬さんを見に。」と答えていた。こういう街で育った子供は「お馬さん」といえばサラブレッドの約2倍の体重を持つばんえい馬のことを思い浮かべるようになるんだろうな。
20分ほどバスに揺られた後、競馬場に到着。やはり普段サラブレッドを見なれている人間にはばんえい馬は大きく感じられる。ばんえい競馬は200mの直線だけのレースである。岩見沢競馬場では以前は普通の競馬も行われていたのでダートコースも用意されているが、使われなくなったので錆びれている。
ばんえい競馬はたった200mほどのレースだがなかなか見ていて熱くなる。馬達が重いソリを引きずりながら人間が歩くスピードと大差の無い速度で走るのだ。スタート時はスタート地点で見ていて、スタート後は最もデッドヒートする第2障害まで歩いて移動し、最後にゴール前まで移動して見るという観戦方法も可能である。平日で重賞もないのですいていたし。
ばんえい競馬のコースは2つの障害があるが、一番の見所は高い障害である第2障害。第1障害と第2障害の間で馬はいったん止まる。一気に障害を駆け上がるとばててしまうのでいったん休ませてスタミナを蓄えるのだ。そして一気に坂を駆け上がる。重いソリを引いているため、坂の途中で止まってしまうとえらいことになる。それでも止まってしまう馬もいるのだが。第2障害を難なく越えた馬だけが、上位争いに参加することができる。
レース中は馬具に付けてある鈴のようなものがリンリンと鳴っている。また、馬の上ではなく後ろから馬を操る騎手が入れる鞭がやたら強烈である。残酷なように見えるが、ばんえい用の馬は皮膚が非常に厚いので強くいれないと反応しないのである。物を運んだり畑を耕したりといった一般の農耕作業に比べると馬にとってかなり楽だそうである。普段見ている競馬に出てくる馬は乗用馬だが、今ここで見ている馬は農耕馬なのである。
馬券の方はばんえいは初心者なのでよくわからないのだが、ばんえい版「競馬ブック」を頼りに買う。メインの直前で3010円のプラスだった。ちなみに中央競馬と違いメインが最終レースである。そのうち3000円をメインレース一番人気の馬(私が買ったから1番人気になったのかも)の単勝につぎ込む。そしたらその馬は惜しくも2着。1着はとんでもない人気薄だった。そしてこの日の馬券収支は10円プラス。10円浮いたところで入場料(100円)にすらならないぞ。それでも、収支のことは別にしてこの北海道だけで行われる「もう一つの競馬」を見れたことは非常によかったと思う。ぜひ一度見てみる価値はある。
<ばんえい競馬> 2つ目の大きな障害を必死に駆け上がるばんえい馬たち。 この坂を登りきればあとはゴールへまっしぐら。 しかしなかなか登りきらない馬も多い。ここが最大の勝負のポイントとなるだろう。
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夕方はせっかくフリー切符を買ったのだからと小樽までいく。電車の窓から見える海の眺めがすばらしい。小樽の運河あたりをぶらつく。大正時代風の建物がいくつも並んでいる。古くからある港町はみんなこうなのか?港の近くのイタ飯屋でイクラ丼とカニ汁を食べる。なんでイタ飯屋で和食を食ってるんだか。まあ、イクラ丼を食べたかったがその時間営業している店でイクラ丼があるのがそのイタ飯屋だけだったのだが。
そして、札幌に戻り、前日から預けっぱなしのコインロッカーから荷物を取り出し、網走行きの夜行列車に乗りこんだ。
後編に続く