最初道がわからず適当に進んでいたら斜里方面へ向かっていたので斜里町内の農道で足慣らし。車を運転するのは1年半ぶりなので多少足慣らしをしておいたほうがいい。斜里町といえば弘前出身の津軽藩士達が開拓した町であり、私の故郷の弘前市と姉妹都市となっている。弘前市物産展で売っていたじゃがいもはこういうここで作られているのか、などとどうでもいいようなことを考えながら農道をドライブする。
さて、足慣らし後は網走を挟んで反対方向にある能取、サロマ湖方面へ向かう。オホーツク海に聳え立つ能取岬の灯台のそばにはここにも巨大なニポポ像があった。ニポポ人形はこの地方のシンボルなんだろうか。
<能取岬にて> オホーツク海に臨む能取岬。 その先端には灯台があった。 そしてそのそばには、 巨大なニポポ像がそびえ立っていた。 |
そしてサロマ湖沿いに更にすすむ。国道側とは裏側の海の側からみたサロマ湖が非常にきれいだった。ちなみにサロマ湖は一部分海につながっているので、車で周囲を一周ということはできないよ。
帰りは遠軽から美幌に抜ける国道333号線を通って網走へ帰った。行きは海沿いの道なので帰りは山の中の峠道を通りたかったからだ。
そして網走駅前でレンタカーを返し、コインランドリ−で洗濯をして、メシを食い、適当にうだうだする。すると、札幌発網走行の特急が事故のため遅れているという放送が。さらに、私が乗るはずだった網走発札幌行の夜行もその電車の折り返し運転であるため1時間以上遅れるとのこと。結局予定より1時間以上送れて列車に乗り込み札幌へと向かった。
大学1年の時にワンゲルの先輩に登別にクマ牧場なるものがあるということを聞いた。そして、その先輩に「そこにいったら怖くて北海道の山に登れなくなるから、現役を引退するまで行かないほうがいいぞ。」といわれた。もう現役を引退して結構経つのでクマ牧場に行って見ることにする。ちなみに、私は北海道で登山経験はあるが、野生のヒグマには幸い出くわしたことはない。
というわけでロープウェイに乗りクマ牧場へ。動物園の猿山のようなところに羆(ヒグマ)の群れが。クマは野生の状態では猿のように群れを作る動物ではないので、猿山のような雰囲気はない。クマ牧場のクマは人間慣れしているらしく、観客の方を向いて餌を投げてくれるのを待っているようだ。「こっちへ投げて」とジェスチャーをするクマもいたりする。きっと条件反射で「こうすれば餌が飛んでくる」ということを覚えたのだろうな。動物を調教するのは食べ物が一番である。意外にもクマ牧場には子供連れの客が多かった。北海道での登山経験のある人間から見ると「熊ってそんなにかわいんだろうか」と思ってしまうが(「じゃあクマ牧場なんかいくなよ」って突っ込みは無しね)。
また、クマ牧場には「ユーカラの里」というテーマパーク(?)が併設されたいた。古代アイヌ人の住処のような建物の中にアイヌ独特の道具類や衣類などが展示されていた。その中の一つの建物で店番をしていたアイヌ人のじいさん(74歳)に話しかけてみる。
「おじいさんが子供のころは、こういうもの(道具)が使われていたんですか?」
「わしももう74になるが、こういうものはつかったことないな。もっと昔のものだ。」
「じゃあ内地から人がきて文明の利器がもたらされるより前?」北海道の人の発音にできるだけ近づくように津軽訛りのある日本語で私は聞いた。アイヌ人のプライドを傷つけないように「開拓」という言葉はあえて使わなかった。
「これを作るのも手間がかかるから買ったほうがやすあがりだもんな」とじいさん。
旅に出たら現地の人との交流があったほうがいい。そしてせっかく北海道に来たのだから大和人ではなくアイヌ人と話ができたほうがいい。
そしてロープウェイで下界へと戻る。下界へもどったら今度はロープウェイではなく自らの足で山を登り「地獄谷」というところを見にいく。ちなみに登別温泉周辺ではあちこちに鬼の像がある。鬼をかたちどった置物などもお土産屋においてある。登別温泉が地獄だと思われていたのだろう。
そして湯煙と硫黄のにおいの漂う地獄谷へ。競馬を通じて国や各自治体に多額の金銭を寄付して公共事業の役に立っている私は死んでも地獄へいかないだろうから、生きている間に地獄なるものを見学しておいたほうがいいのかもしれない。地獄谷は雰囲気として「北海道の恐山」といった感じだった。硫黄の付着した岩の間をにごった高温のお湯の川が湯気を立てて流れる。さすがに恐山とは違いイタコはいないらしいが。
地獄谷を見終えたらさらに山道を奥まで歩き大湯、奥の湯といった温泉の源泉を見に行く。温泉のイオンを含んだ湯気が吹きこめるせいか、森林浴が気持ちいい。
一通り山歩きを終えて、腹が減ったのでなんか食おうと思いながら歩いていたら、毛がにを売ってる店を発見。大きなカニだと3000円するらしいが、値切ったら小さめの毛がにを1200円で売ってくれたのでそのカニを食べた。毛がにをまるごと食べるのは本当に久しぶりである。やはり、ふた(甲羅)をあけたばっかりのカニ味噌はとても美味い。
そして、せっかく登別に来たのだからと温泉へ入る。登別の温泉といえばドリフターズの「いい湯だな」でも1番の歌詞で歌われているように日本を代表する名湯である。温泉で旅の疲れを癒し登別の駅へと向かった。
登別駅で電車を待つ間新聞を読んでいたら旭川で道営競馬(ナイター)を開催していることが判明。そこで札幌−稚内の急行利尻(夜行)の切符を持っていたにもかかわらず札幌で荷物を取ってすぐに特急で旭川に向かう。しかし、旭川競馬場は旭川駅から結構あるので間にあいそうになかった(最終レース=メインレースにはタクシーを使えば間にあったかもしれないが)ので競馬にいくのはやめることにする。結局指定席の区間を旭川−稚内に変更して旭川駅前周辺を散策する。旭川でもこの日花火大会が行われていた。
そして雨の中車を飛ばして日本最北端の地である宗谷岬へと向かう。宗谷岬の駐車場に車を止めてその辺を散策する。晴れていればサハリンが見えるはずなのだが、雨は小ぶりになったものの曇っていてサハリンは見えない。日本最北端の碑や間宮林蔵像などを見た後、「宗谷岬」という歌がエンドレスで流れているお土産屋へ。そこには「流氷館」が併設されていた。流氷を冷凍室で保存し、一年中見れるようにしたものである。入場無料なので中に入ってみる。流氷が展示されていた。零下20度ぐらいはあると思うのでさすがに半袖のシャツじゃ寒い。
宗谷岬の日本最北端の地の碑
そして岬のそばの丘に登り日本最北端のラーメン屋でホタテラーメンを食べる。そういえば「わっかない」という名前を初めて耳にしたのは小学校1年ぐらいのときに「おじゃまんが山田君」という漫画でアパートの貧乏学生3人がいつも食べていたラーメン屋の名前が「わっかないラーメン」だったからである。そこで固定観念として稚内はラーメンの名所というイメージがある。ここのラーメンも美味い。そういえば北海道に来てからあちこちでラーメンばかり食べているな。前日も夜に旭川でラーメンを食べたし。それだけ北海道はラーメンの名所が多いのか。
さて車に戻るとエンジンがかからない。バッテリー液が足りないらしい。最果ての地で立ち往生である。まあ、いざとなったらバスで稚内駅まで帰れるのだが。レンタカー屋に電話したら1時間ほどで代わりの車を持って来てくれた。まったくもう。レンタカー屋なら日常の点検をちゃんとしておけよな。私がマイカーを買わないで必要な時だけレンタカーを借りることにしてるのは日常の点検や手入れが面倒だというのもあるのだから(爆)。
新しい車で稚内とは反対方向にある東海岸沿いを進む。途中「海の駅・猿払」というところで休憩。そこにあった作り物の風車小屋や記念碑(らしきもの)を読むと、今でこそ牧場で酪農をやっているが、戦前はここは未開の地であったそうな。戦後の国の食料増産計画によってこの未開の地へ牧場がつくられ、いろいろ苦労があったが、今ではヨーロッパ式の酪農方法で牧場が経営されているらしい。また、かつてオホーツクにはいくら取っても無くならないと思われるようなほど鮭やホタテなどの海産物があったが、日本人が漁業を行うようになってから量が減り始めたらしい。資源は海産資源もふくめて有限なものなんだな。こんな農村風景(牧畜がメインだから「牧村」といったほうがいいか)の中にもいろいろと学ばされるものがある。
さて、その後はさらにオホーツク海沿いを南下してクッチャロ湖まで。決して屈斜路湖のタイプミスではない。クッチャロ湖という名の湖が存在するのだ。「白鳥の湖」だそうだが、季節はずれなのか白鳥は1頭もいず、カラスが飛んでいた。淀の京都競馬場には一年中白鳥がいるのにな、ってあれは渡り鳥であるはずの白鳥を人間の手によって飛べないようにして、飼いならしているだけか。
その後は内陸の道に入り車を走らせ続ける。そして日が沈む頃にノシャップ岬へ。ノシャップ岬とは稚内の宗谷岬とは反対側(つまり西側)にそびえる岬である。ここは夕日が沈むのが美しいところだそうだ。朝は雨だったがこの時間になると日が照っている。しかし、水平線に沿って雲がたなびいていたため日の入りの瞬間は太陽が見えなかった。そのかわり非常に美しい光景が。西の水平線付近にはオレンジ色に光る雲が我々を吹き付ける風と同じ方向へ流れている。その光景に見とれていたが、後ろを振り返って見ると薄い雲が見事な紫色をしている。上を見れば青空が広がり北を見れば青黒い雲の横の空が黄色く輝いている。360度空の色が違うのである。こういう光景はもし雲一つない快晴だったら見れないであろう。
そして車にガソリンに入れにガソリンスタンドへ。ガソリン代を払おうとして「カードでお願いします」といってJRAカードを差し出す。するとガソリンスタンドのオヤジが「おお、JRAですね。明日やるんですか?」と話し掛けてくる。「ええ、夜行で札幌までいって。こういう趣味あるんですか?」と私。「うん、PATやってるから」とオヤジ。こんな北の外れのガソリンスタンドのオヤジでも競馬をやるんだな、と感動してしまう。いい心がけだ。
レンタカーを返した後は駅の周辺をぶらつく。港辺りを歩いていると空気が澄んでいるせいか星がきれいである。北の空には北斗七星とカシオペア座が浮かんでいた。そしてそれらの場所から類推して探し出した北極星はやけに高い場所にあった。
そして競馬場へ。札幌駅の隣の駅である桑園駅を降りると無料送迎バスが出ているので、それに乗って競馬場へ。3歳の500万条件戦で出走馬の中でJRA所属馬はたったの1頭で残りはすべて地方所属馬、しかもその地方所属馬の中で新潟の馬1頭を除くすべてが道営馬というレースがあったな。この札幌競馬場では中央競馬だけではなく道営競馬も行われているのだが、この日は中央競馬の開催だぞ。このまるで道営のレースのような地方交流レースを制した馬の名前はマカセナサイ。なんかウルフルズの歌のような名前だぞ。また、この日はサイレンススズカの弟であるラスカルスズカ(牡4歳)が古馬相手に900万条件を勝ち無傷の3連勝を飾った。私の馬券は1着3着だったが。
でもって馬券のほうは途中まではプラスだった筈だが勝負レースをことごとく外し気が着いたらマイナス1万円になってるといった始末。メインが終わったら財布から金が無くなったので、最終はやらずに銀行へ向かった。
この日の発見はJRAカードを持っていればローカル場所でもクレバカードのポイントがもらえるというもの。整理本部でJRAカードとクレバカードを同時に出せばポイントを加算してくれる。私はこの日それを初めて知った。というわけでクレバカードに来場ポイントを加えてもらう。
この日は必要な荷物物以外の荷物を宅急便で自宅へ送り返す。結局シュラフを持って来たが使うことはなかたな。札幌の街では大通りからすすき野にかけての通りで夏祭りが行われていた。なぜか青森ねぶたの小型版があった。「青森ねぶた」と書いていながらお囃子は弘前ねぷた囃子を早送りしたようなお囃子だったが。と書いても地元民以外は青森ねぶたと弘前ねぷたの囃子の違いはわからないか。
祭りも終わったようなので例のカプセルホテルへ。しかしカプセルホテルは満員。しかたなくサウナの仮眠室で過ごすことにする。深夜料金を取られるので結局カプセルと料金が違わないのが悲しい。サウナの場合カプセルと違って外出できないし。
この日の的中は1つだけだった。当然のようにマイナスになる。1万2千円ほどマイナスだ。また、この週は札幌では重賞がないのが残念だった。私は北海道の中央競馬のファンファーレが好きだが、特に重賞のファンファーレが好きだ。ただし、生演奏は除くが。新潟で行われていた重賞・関屋記念の場外発売ではスピードワールドの単勝で勝負。見事に3着だったが。この馬も3着が好きだねぇ。
馬券で惨敗してとぼとぼと駅へ向かう。猛暑の為にダイヤが乱れていた。9日間滞在した北海道もこれで最後である。結局暑くなかったのは稚内だけだったな。
電車に乗り千歳空港までいく。空港のお土産やをしばらくぶらついた後、羽田行きの飛行機に乗り込んだ。予約してあったJASの飛行機に乗ったが、その横にあった機体に「北海道」と大きく書かれたAIR DOの飛行機が妙にいかしたデザインに見えた。