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2009年度優駿エッセイ賞落選作品 ゼロサムゲーム

09/9/26

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2009年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(3年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。昨年に続き今年も優駿10月号の時点で1次選考落ちを確認できたので5年前より1ヶ月早く公開できます(苦笑)。

ゼロサムゲーム

「そんなのありかよ。」
 レース結果を見て、そうつぶやいた。2003年宝塚記念。私の本命は前年の2着馬ツルマルボーイ。彼を軸に馬連で流していた。そして、彼はきちんと2着にやってきた。しかし、そのレースの1着馬はその年の春の天皇賞馬ヒシミラクルだった。決して買えない馬ではないのだが、押さえていなかった。レースとしてはヒシミラクルが単に長距離が得意なだけではなく、中距離でも活躍できる強い馬だということがわかり、すばらしいレースだったと思う。しかし、馬券が外れて、というよりは狙えば獲れるはずの馬券を取り逃して、ターフビジョンの前の私は肩を落としてため息をついた。
 ヒシミラクルといえば私がその年の春の天皇賞で本命にしていた馬であり、そしてその天皇賞で私に万馬券をプレゼントしてくれた馬である。ただし、GIを2勝しているものの、京都の長距離に抜群の適性があるのであり、宝塚記念では来てもおかしくないものの絶対視はできない存在だと思っていた。その宝塚記念前日発売午前10時現在のその馬の単勝オッズは5倍前後。この数字が当日の競馬新聞に前売りオッズとして掲載されていた。春天を勝っているとはいえ距離が短くなる宝塚記念で人気になるようではさすがに買えない。そこまで人気にならなければ本命ツルマルボーイの相手として押さえておくのだが、単勝5倍前後という過剰人気なら迷わず「消し」である。この人気じゃ買えない。そう思っていた。
 しかし、その約5倍という低配当には裏があったのであった。前日の午前9時半ごろ、ヒシミラクルの単勝を1200万円買ったサラリーマン風の中年男がいたらしいのだ。当時話題となった俗称「ミラクルおじさん」である。どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている、月光仮面のおじさんのような人物だ。その大量投票のせいでヒシミラクルの単勝オッズが一気に安くなっていたらしい。
 そのミラクルおじさんは安田記念を的中させ、その払い戻しの際に配当金を現金には換えずに、そのままヒシミラクルの単勝にまわしたらしい。前日の発売開始後すぐに買うというのは馬券戦術的に優れた買い方だ。もし、締め切り直前に大勝負をしたら、配当が一気に下がってしまい、あまりおいしくない馬券となっただろう。前日の朝早く買ったため、そのオッズを見て(私みたいに)ヒシミラクルを買い控え、相対的においしい配当となっている他の馬の単勝を買う人が多くいたと推測される。そしてヒシミラクルの単勝オッズは妥当な数値に向かって収束していったのだ。最終的にヒシミラクルの単勝は16.3倍というそれなりに納得できるオッズになったのだから。

 学生時代、友人と次の様な話をしていたことがある。
「麻雀は勝っても相手が目の前にいるので気を使わなければならないけど、競馬は(配当金の供出元である)相手が目の前にいないから余計な気を使わなくていいよな。」
 果たして競馬は相手が目の前にいないのだろうか?答えはNoである。私が馬券を当てた場合、その配当金はそのレースで同じ券種を買っていた大勢の人たちが買った馬券の中から供出される。それは隣にいる友人かもしれないし、前にいる見ず知らぬ人かも知れない。自宅にいてPATで一人で買っていたら目の前にはいないが、結局のところ負けた人間が勝った人間に対して(主催者を経由して間接的にではあるが)おカネを払っているのである。あまりにも多くの人が参加しているし、おカネのやり取りはプレイヤー同士直接やり取りしているわけではなくJRA等の主催者を経由して行なわれているため、プレイヤー同士の戦いであるということがあまり意識されないだけなのだ。だから、前述の友人の言葉は正しくは「競馬は賭けの相手が目の前にいることを意識せずに済む」だけなのである。
 JRAが発売している馬券はパリミュチュエル方式により配当が決められる。パリミュチュエル方式とは次の様な配当決定方法である。
 まず販売所において自分の予想となる券を購入するが、この時点において配当は不明である。そして購入額を全てプールする。その後、レースや抽選を行い、当選の番号と当選者が確定する。この時点でプールした金額から、運営費などの経費を引いた差額(差引き金額は控除率による)を当選者で分配する。この方式の場合、販売主は必ず儲かる仕組みとなっている。
 これと対峙する方式がブックメーカー方式という配当決定方法である。胴元があらかじめオッズを決めておき、的中者に配当する方式である。世界各国のカジノのルーレットやヨーロッパの競馬の私設馬券売りがそれにあたる。日本だとパチンコやパチスロが、配当は明示されていないもののそれに近い。オッズの付け方や出目によっては主催者が損をすることもあり、いかにしてプレイヤーに張ってもらえてなおかつ主催者が損をしないようなオッズを付けるかがディーラーの腕の見せ所となる。
 要するに、日本競馬の様なパリミュチュエル方式のギャンブルはプレイヤー同士の勝負、カジノのルーレットの様な賭けた時点でオッズが決まっているブックメーカー方式のギャンブルはディーラー対プレイヤーの勝負なのである。競馬は一見客がJRAの様な主催者と勝負するギャンブルの様に思えるが、実はそうではない。主催者は一定のテラ銭を取っているだけであり、実際はプレイヤー同士の勝負なのである。厳密に言えば日本の競馬の控除額の算出式は結構複雑であり、出目によって若干主催者の取り分が微妙に変わってくるが、基本的にはプレイヤー同士の勝負なのである。
 こんな方式なので、前述のミラクルおじさんは、単に予想がうまい(あと大金を張れる度胸がある)というだけではなく、こういう馬券戦術にも長けた人なのだろう。この勝負をGIで行なったということもポイントだ。GIは普通のレースよりも馬券に参加する人数が多いし、投じられる金額も高い。だから、オッズが収束しやすいのである。たとえばあまり馬券が売れない地方競馬の朝の第1レースだったりしたら、いくら発売と同時に馬券を買ったからといっても売上げ総額の大半がミラクルおじさんの投じた票であるわけなので1倍のオッズにしかならなかっただろう。それから前日発売があるということもポイントである。前日発売の朝10時時点でのオッズがその日の夕方の新聞に記載されるため、10時の時点では異常に安いオッズで記載されて、当日馬券を買う他の客はその馬の馬券を買い控えることとなる。それ故に、高額投資してもまともなオッズで払い戻しを受けられるのである。

 かの阿佐田哲也先生が著書の中でこんなことを書いていた。「ギャンブラーとは孤独なものだ。負ければ金銭を失うこととなり生活できないし、勝ち続ければ他の人から敬遠されて勝負の相手がいなくなる。」といった趣旨のことだ。これは麻雀においてはその通りである。しかし、同じプレイヤー同士の戦いでも競馬はそうではないだろう。普段馬券が外れたときに「あの馬が仕上がっていなかったから」とか「騎手が騎乗ミスをしたから」と言う人はいても「あいつが馬券を当てたから俺が外れた」とか「お前が当てたその馬券の払戻金は俺が出してやってるんだぞ」と思う人はほとんどいない。むしろ、「この競馬場の柱一本は俺が立ててやったんだ」とか「あの置き障害は私のハズレ馬券で作られている」などと思う人の方が多い筈である。逆に馬券が当たって払い戻しを受けるときに、「○○(馬)ありがとう」とか「○○(騎手)よくやった」あるいは「JRAが私にプレゼントしてくれた」と思う人はいても、その券種を買って外れた人に対して「ありがとう」と思う人はほとんどいないと思われる。本当は自分の馬券が当たろうが外れようが主催者の取り分は変わることはなく、勝者が手にする払い戻しは敗者の懐から出ているだけなのに。パチンコ屋はプロとみなされると出入り禁止になるが、競馬の場合は「プロだから」「強すぎるから」という理由で出入り禁止になる人はいない。その客が勝とうが負けようが主催者は損をしないのだから。
 競馬というギャンブルはプレイヤー同士の戦い。オッズもプレイヤーが作る。単に出目を予想するだけではなく、そのオッズが本当に妥当なのかを検証するのも重要である。おいしいオッズと思えば飛びつき、来ると思っても来る確率に比べてオッズが低かったら見送らなければならない。そのオッズを作るのは主催者ではなく自分も含めたプレイヤー。他のプレイヤーの裏をかく虚虚実実の駆け引きが重要なのである。トランプゲームで言うとディーラー対プレイヤーの勝負であるブラックジャックの様なものではなく、プレイヤー同士の駆け引きで勝負が決まるポーカーの様なものだ。専門的に言うとゼロサムゲーム。いや、胴元の取り分があるのでマイナスサムゲームなのか?ただし、参加者があまりに多すぎるので、それが意識されることはほとんどない。ミラクルおじさんの時の様な「事故」はあるものの、本来なら勝負の相手である筈の仲間と、時にはその辺にいる見知らぬおじさんと一緒に競馬談義に花を咲かせながら、今日も我々は競馬の予想をして馬券を買い続けるのである。


[あとがき]
今回の応募作は競馬のギャンブル性を強く出した作品でした。2003年私的年度代表馬で特別賞「年度代表馬券師」の称号を与えられた(というか私が与えた)ミラクルおじさんのことを思い出して書いてみたら、「競馬というギャンブルとは」という様な哲学的な(?)ことを考えてしまったので、それをエッセイにしてみました。ちなみにタイトルの「ゼロサムゲーム」は全部書き終わってから考えたものです。専門用語的なカタカナ語を使ってみたのですが、それが裏目に出ましたかね(^^;。結果は見事に1次選考落ち。


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