というわけで、ここで昨年までの私的年度代表馬を振り返ってみよう。
初のサラブレッド以外の馬の受賞である。ばんえいの馬、つまり重種馬である。この私的年度代表馬は今まではサラブレッドしか選ばれた事がないが、別に受賞資格はサラブレッドや軽種馬に限定しているつもりはない。馬であれば何でもいいのである。もちろんここは競馬のページであるし、選考委員である私自身競馬というフィルターを通して馬を見ている人間なので競走馬以外の馬が選ばれる可能性は極めて低いわけではあるが。
このシルクタローは現時点で日本唯一のばんえい一口ファンド馬である。そして私も出資している。2011年の成績は30戦して1勝。普通は30戦もして1勝しかしていない馬はいくら私的とはいえ年度代表馬になんか選ばないだろう。しかし、その1勝は非常に大きく貴重な1勝だった。
2011年といえば3/11に起きた大地震、通称東日本大震災の年である。地震の翌日は佐賀競馬を除く全ての競馬(中央・地方とも)が中止となった。余談だが当日帰宅難民となり翌日の午前中に府中市内の自宅に帰宅する満員の南武線の中で、競馬新聞にペンでメモしながら一生懸命予想をしている爺さんが載っていたので「今日の競馬中止だよ」と教えてあげたくなった(混みすぎて話しかけられる位置にいなかったので声はかけられなかったが)。
そしてその翌日の3月13日。震災翌日の12日こそ中止にした帯広競馬だが、直接的な被害が殆ど無かった事もあって開催される事が決定された。自粛ムードが漂う中で賛否両論はあると思うが、被害を受けなかった人は通常通りの経済活動を普段以上に頑張ってやったほうがいい。矢野吉彦さんもばんえい競馬情報局の記事の中で「無事だった人たちが、できる限り本来の"生業"を続ける事が最も重要」 と言っていたし、全くそのとおりだと思う。
その3/13の震災明けに行われた帯広競馬の第3レースにシルクタローが出走した。第2障害を越えてからはセーフティーリードを保っていたので大丈夫だろうと思って見てたら、ゴールが近づくと脚色が鈍り止まってしまった。しかし、それでも最後の力を振り絞りどうにか先頭でゴールイン。震災明け初開催の日のレースを勝利で飾った。
シルクタローはその名前通り(有)シルクの馬である。シルクの本社は被災地の一つである福島市。一口のクラブとはいうものの被災地馬主である。大半の馬の馬主が北海道内のばんえい競馬で、震災後に敢えて開催をした日に被災地の馬主の馬が勝った。もちろんこの日の福島市ではばんえい競馬を観ている場合ではなく、ニュースにもならなかっただろう。シルクタロー自身も生まれも育ちも現住所も北海道であり、自分の馬主の本社所在地が大地震で被害を受けたなんて事は知ってる筈がない。しかし、そのレースを観ていた私にとっては震災後の落ち込んだ気分の中で賛否両論の中開催された競馬で被災地馬主の馬が勝ったのを見て、励まされるものがあった。
30戦1勝というのは決して優秀とは言えない成績である。最大10頭までのばんえい競馬で30回も走っていれば1回ぐらいは勝つ事もあるだろう。しかし、その1勝が3/13という日に回ってきたというのは何かの縁だろう。そういう時だからこそその勝利は貴重なものである。また、仮にその日も帯広競馬が中止になっていればその勝利も無かった筈だ。震災後の自粛ムードが漂う中、開催という決断をした帯広の主催者に敬意を示し、シルクタローを私的年度代表馬としよう。
印象に残った馬、インパクトがある馬は他にもいたのだが、やはり東北人の私にとって2011年は東日本大震災があった年だという事は忘れてはならない事である。そこで、震災時に被災地代表として頑張って結果を残した馬を私的年度代表馬とする。年度代表馬なんだから成績とか戦ってきたレースのレベルとかパフォーマンスとかだけではなく「年度を代表している」という事が重要なのだから。10年後20年後に2011年はどんな年だったか振り返る時に「オルフェーヴルが三冠馬となった年」というのも重要かもしれないが、「東日本大震災があった年」という事はもっと重要な事だ。