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「プロは馬券でメシを食う?」名場面集 '95-'05夏

 1995年の夏に予想を始めてから今年で10年。当時はWWW黎明期といえる時代だったが、その頃から予想を書き始めて10年後の今も続いている予想はおそらく日本にはほとんど無いだろう。10年前の準備中の際に冗談半分で「プロは馬券でメシを食う」と書いていたらダービースクエア(当時)のほりえさんに「プロは馬券でメシを食うを見るべき」と書かれてリンクを張られたため(詳細はここ)その名前で続けることになったが、10年前の気まぐれをいまだに引きずっている。しかし10年後の今でも馬券でメシを食えるまでには残念ながら至っていない。というわけで(どういうわけだ?)この10年間の集大成として私の予想で印象に残った名場面(&迷場面)を振り返り、この10年間の競馬もついでに振り返ってみよう!


1995/9/17
オールカマー(GII) 芝 2200m
記念すべき初的中である。しかし、このレースは台風のため9/18(月)に順延。勘のいい方ならお気づきかもしれないが、当時私はPATには入っておらず月曜日は馬券を買えなかったのである。したがってこのレースは馬券自体買っていなかった。予想をWWWで公開して初めて的中した記念すべきレースというのに馬券が買えなかったなんて・・・。


1995/10/29
天皇賞(秋)(GI) 芝2000m
記念すべきGI初的中である。この日はちゃんと馬券を買いに行っていた。しかも府中で生観戦。ナリタブライアンが股関節炎による休養明けで的場を背に出走してきたレースだ。1番人気だったが、おそらくここでは来ないだろうということでサクラチトセオー,ジェニュイン,アイリッシュダンス,マチカネタンホイザの4頭の馬連BOXを買ったら見事に的中。レースも(現表記)3歳のジェニュインをハナ差差しきった名勝負。そういえば次の年の秋天も的中したよな。


1995/11/12
エリザベス女王杯(GI) 芝2400
レース・予想自体は「普通の外しちゃったレース」である。「せっかくサクラキャンドルに目を付けたのだが相手がな・・・」とは思ったが、それはそんな大きな問題ではない。何が「名場面」かというと、このレースの予想で、予想は書いていないがおまけとして同日行われた富士S(当時オープン特別)のコメントまでカイタノだということだ。当時の私の本拠地後楽園場外で見ていたのだが1着フジヤマケンザン、2着タイキブリザード、3着ロイスアンドロイスという3連単が当時あったとしたら獲れたであろうレース。確か馬連を的中させたような気が。メチャクチャ安かったけど。ちなみに人気順は2番人気がフジヤマケンザンで、タイキブリザードが1番人気。せめて馬単があればなぁ。勝ち馬フジヤマケンザンはこの次走で香港カップ(当時国際GII現地GI)を制し、日本調教馬初の「海外GI」制覇を成し遂げた。


1995/11/9
ステイヤーズステークス(GIII) 芝3600m ハンデ
当時はまだGIIIであったステイヤーズS。ステージチャンプとインターライナーのガチガチの安い馬連を1点的中だった。何が特筆すべきかというと予想本文に「でも、マチカネタンホイザが鼻血や蕁麻疹で取消になればえらい安い配当になりそう。」と書いてあることである。マチカネタンホイザのお家芸懐かしいね。そして、レース後のコメントには「ちなみに、マチカネタンホイザはちゃんと出たが、安い配当になってしまった。」と書いてある・・・。


1996/2/10
東京障害特別(春) 芝3300m ハンデ 重賞
障害重賞にグレードが付けられていなかった時代のレースである。今は亡き府中の襷コースで行なわれた。府中の障害に限っていうとこの頃の方が面白かったな。しかし、私はこの頃大学生であり卒業研究でメチャクチャ忙しく見に行けないどころか馬券も買えなかった。そして予想はカイタノだが見事に予想が的中した。確か競馬にいけないからと自棄になって某MLに予想だけ書き、シグネチャには「買わなきゃ当たる男」とカイタノだったが、本当に買わなきゃ当たった。大して儲かってはいないが。ちなみにこの時期は馬券を買えなかったり、予想通りには買わなかった時も、当たったということにしてレース後のコメントを書いていた。今だと「予想は当たったのだが、実は馬券は買っていなかった」と正直に書いているがあの頃はマジメだったんだな。ちなみにポレールの快進撃が始まったのはこのレースである。


1996/3/9
阪神大賞典(GII) 芝3000m
私が阪神競馬場初見参だった時のレース。予想的には別に「名場面」ではないのだが、このレースは予想や馬券が当たったとか外れたとかいう次元ではなく「名勝負」だった。そう、知る人ぞ知るナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ちだったレースだ。阪神まで見にいった甲斐があったというものだ。ちなみにこの遠征の時に裏で行われていた中山記念(サクラローレル勝利)はちゃんと当てた。同じくナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ちになるといわれた春天ではそのサクラローレルが勝つことになる。


1996/8/18
函館記念(GIII) 芝2000m
マイヨジョンヌが快勝し、予想が的中したかと思われたレース。「獲った!」と思ってガッツポーズをして喜んでいたらWINS後楽園に悲しいお知らせが響き渡る。「1位に入線したマイヨジョンヌ号は(略)4着に降着とし、着順を変更の上確定いたします。」モニターの前には愕然とする私がいた。痛恨の降着である。陣営にとっても私にとっても。ちなみにこれを書きながら過去の記録を調べていたら「函館競馬場開設100周年記念」だそうである。こういうおめでたい日にめでたくない出来事とはね。ついでにいっておくとマイヨジョンヌの管理厩舎畠山重則厩舎には数年後一口馬主としてシルクモーメント、シルクランデブー、シルクスパルナでお世話になることになった。(マイヨジョンヌが畠山重厩舎だということもこれを書いている最中に初めて気づいたが。)


1996/11/10
エリザベス女王杯(GI) 芝2200m
この秋は割と順調だった。秋天・菊花賞とGI2週連続的中であり、秋華賞も外しはしたもののファビラスラフインを本命としていい線の予想だった。この時期に競馬のお時間にリンクを張ってくれた人がいたが、そのコメントには「秋のGI戦線も順調なようです。ぜひ参考にしましょう。」とまで書かれていた。そして迎えたエリザベス女王杯。ダンスパートナーから流していたが、2位入線のヒシアマゾンは抜け目だった(実際の馬券は押さえ程度に買っていたが獲りガミ)。私の特技である1着3着がまたしても決まったかと思った。しかし、東京競馬場では私の横でラジオを聴いていた見知らぬ人が「ヒシアマゾン降着だってよ」と言っているのが聞こえてきた。そしてヒシアマゾン降着のアナウンスが。中舘騎手がムチを持ち替えたのが他の馬を妨害したとのことで降着だそうである。これで私の馬券も予想も見事に的中!
次の日Mさんの日記を読んだら、Mさんは当たったと思ったがアマゾン降着のおかげで外れてしまったらしい。次の日あの当時Mさんがよく参加していたチャット(IRC)の某チャンネルにログインした瞬間に私が発した言葉が「中舘ありがとう〜」。書いた瞬間「むかつく」の連呼が返ってきた。Mさんと初めて会ったのが前述の函館記念の日で、その時は逆の立場だったのだが(笑)。
ちなみに中舘騎手はこのレースを最後にヒシアマゾンから降ろされる。中舘といえば「逃げ」だが、このままいくと引退後に主なお手馬がヒシアマゾンとなってしまうが、それではイメージに思いっきり反しているので、引退前に逃げ馬でGIを制して欲しいものである。一時期はローカルで無条件に単勝を買っていたほど好きな騎手であるし。


1996/11/10
スプリンターズS(GI) 芝1200m
フラワーパークとエイシンワシントンの着差2cmの叩き合いが名勝負と言われているレース。しかし、私は名勝負だとは思わない。なぜならビコーペガサスを本命としていたからだ。別に馬券が外れたから名勝負と認めないわけではない。4コーナー手前で3番手を行くニホンピロスタディーが故障発生。その真後ろにいた我が本命ビコーペガサスがもろに不利を受けた結果、全くレースにならなかったのだ。最も不利を受けたのはビコーペガサスだったが、その後ろの馬もほとんどが玉突き状態に不利を受ける。結果として前にいた2頭が残ってしまったとしか思えないのである。別に故障したニホンピロスタディーを責めるつもりは毛頭ないのだが、事故が発生してたまたま影響を受けなかった馬同士で決まったレースは名勝負とは言えない。まともだったらビコーペガサスが2着だったと今でも思っているし(2着というのがミソ(爆))。もろに被害を受けた馬を軸にしていただけにかなり悔しかったぞ。


1996/12/22
有馬記念(GI) 芝2400m
「昔はこんなの書いてたんだよな。」これが率直な感想。あの当時の予想は今よりショボい内容だが、有馬記念だけは気合いが入っていた。月曜日か火曜日に登録のあった馬全てに対してコメントを書いて、出走馬正式確定後に予想を書いていた。97年以降はさらにパワーアップしていて、それが「新・プロは・・・」に予想のタイトル/スタイルを変えた2000年まで続く。何故最近はやらなくなったのだろうと思った。今年から復活させて見ようかな。


この時期新バージョンに模様替えした。<TABLE>タグをサポートするブラウザが一般化してきた(というかサポートしていないブラウザがほとんど無くなった)時期なので。
1997/3/2
弥生賞(GII) 芝2000m
この年のクラシック路線は大混戦の模様を呈していた。このレースの1番人気がエアガッツだったということがそれを物語っている。こういう混戦模様では「未知の魅力」のある馬が狙い目だと思った。そしてキャリアわずか1戦のサイレンススズカを本命とする。そしてあの伝説の「ゲート潜り」。・・・何やってんの。レースに出ても勝負にならないだろうから除外して欲しかったが、そのまま出走。そしてゲートが開くと今度は大出遅れ。スタート時点でレースが終わっていた。あれだけの致命的な出遅れを決めても追い上げて8着にまで届くのだから実力はあるのだろうけど、馬券にはならなかった。ちなみにこのレースは武豊騎乗のランニングゲイルが勝ったが、その裏ではこの週にデビューした武豊の弟にあたる騎手武幸四郎がオースミタイクーンでマイラーズCを制した。サイレンススズカのゲート潜りのおかげで弥生賞の発走がちょっと遅れたのでほぼ同時刻に兄弟で重賞制覇だ。そんなのに貢献してどうするんだよ(笑)。
ちなみにこの年の秋天を見に行ってサイレンススズカの見事なまでのバカ逃げを見てスズカがゆくを書き始めたが、その原点はこのレースにある。


1998/11/8
菊花賞(GI) 芝3000m
1998年と言えば横浜ベイスターズが38年ぶりのセ・リーグ優勝&日本シリーズ制覇をした年だ。権藤さんが監督を辞めてからは「元の黙阿弥」に戻ったがこの年のベイスターズの強さは印象深かった。そして菊花賞はセイウンスカイが逃げ切り。その時の私の予想のレース後コメントには「逃げ馬が菊で逃げ切ったのは38年ぶりだそうである。プロ野球では横浜ベイスターズが38年ぶりに優勝したが、それがサインだったのか?」と書いてある。しかし、実際は逃げ馬が菊を制したのは37年ぶりである。何故こんな間違いをしたのかというと、TV中継を見ていたら杉本清アナが「セイウンスカイ38年ぶりに菊花賞を逃げ切りました。」と言っていたからだ。もしかしたら杉本さんもベイスターズファンなのか?


1999/5/30
優駿牝馬(オークス)(GI) 芝2400m
府中以外ではロクに走らないが、府中で2戦2勝でいずれも重賞であるウメノファイバーが本命。そして府中巧者らしい見事な追い込みを見せてウメノファイバーが制覇。何故名場面かというと予想が当たったこともそうだが、その時の蛯名騎手のインタビューでアナウンサーが「派手なガッツポーズはしませんでしたね」という問いかけに対して「前に一度間違っちゃいましたからね。」。このコメントが印象に残り名場面集入り。それどころかこれがきっかけで私のページでも「私的年度代表馬」が創設された。もちろんこの年の代表馬はウメノファイバー。ちなみに蛯名騎手は小さくガッツポーズをしていたらしく、最後に差された武豊騎手が「ゴール前で外から来た馬の騎手がガッツポーズをしていたので負けたと思ったが、マサヨシなので大丈夫かもと思った。」と某雑誌にコメントしている。余談ではあるがその武豊騎手はこの年の有馬記念(スペシャルウィークに騎乗)で数年前に蛯名騎手がやったような幻のガッツポーズどころかウイニングランまで行なっている。この時の勝利騎手も95年春天(蛯名幻のガッツポーズ)と同じ的場騎手。


2000/4/16
皐月賞(GII) 芝2000m
エアシャカール−ダイタクリーヴァの馬連的中。このレースはかなり印象的なレース。なぜなら「ラガーレグルスがゲートを出ない」事件があったからだ。共同通信杯の大出遅れはまだいい方で、今度はゲートを出ない。弥生賞では落鉄が敗因だったが、今度は落哲である。競走中止扱いで買い戻しが無かったので馬連は7.2倍のままだったが、これが競走除外扱いで買い戻しとかになるとエラい安い配当になってたぞ。ラガーレグルスがそれなりに人気を集めてたし。ラガーレグルスの話は「競馬雑感(現:そこに馬がいるからだ)」にいろいろとカイタノで詳しくはそちら(その1/その2)を読んでいただくにことしてこの辺で。


2000/5/28
東京優駿(日本ダービー)(GI) 芝2400m
この前の日に府中市内のパチンコ屋に行って2万ほど勝った。この年のダービーは指定席券が抽選で当たっていたため指定席で観戦。ダービー前までに5000円ほど負けていたので前日のパチンコの勝ちの残り15000円をすべてアグネスフライトの単勝につぎ込む。予想には5000ptsとカイタノだが、実世界の私は15000円も賭けて河内と心中していた。そして河内と武豊の猛烈な叩き合い。府中の指定席で私は「かわち〜!」と声が枯れるまで叫び続けた。エアシャカールがアグネスフライトに体当たりせんとばかりに寄ってきて審議となったが、ハナ差でアグネスフライトが先着。河内騎手はこれでダービー初制覇。審議にはなったが、降着にする必要は無かった。被害馬の方が先着していたからだ。シャカールが先着しなくてホントに良かったぞ。シャカールが先着して降着でフライトが繰り上がり1位だと結果としては変わらないかもしれないが、かなり興冷しただろうから。おとなしく馬連を買っておけばもっと配当が付いたのだが、単勝を持っていただけに見ていて熱くなるレースだった。
競馬で6万ぐらい勝っていたが、レース後に前日のパチンコ屋に言ったらまた3万円ぐらい勝った。この日は私にとって最高の一日だった。


2000/6/25
宝塚記念(GI) 芝2200m
このレースは前年の覇者グラスワンダーと心中。グラスワンダーと言えば的場とのコンビで有名。しかし、このレースでは蛯名に乗り替わっていた。そしてこの裏で行われた府中のメインレースでは「的場は(グラスを降ろされて)悔しいから頑張るだろう」ということで的場の馬を本命としていた。
この日私が居た場所は阪神競馬場のガラス張りの指定席。我が本命グラスワンダーは4角で好位に付ける。そしてガラス張りの指定席の中で私は突如立ち上がり「まとばあぁ!」と叫ぶ。的場は数分前の府中のレースで本命にしていたというのに・・・。すぐに気づいて「じゃなかった、えびな〜!」と叫び直したが、その魂の叫びも空しくグラスワンダーは着外。


2000/7/29
マリーンステークス ダ1700m
この頃はまだこの文章の冒頭で書いた日よりも半年前だ。しかも、その文章の中程に登場する記念すべき大的中よりも2年半も前だ。当時のスマートボーイは私にとって特別でも何でもない馬だった。しかし、なぜか重賞でも無いのに予想してスマートボーイを本命にしている。同馬主のプリエミネンスとの1点だ。02年のエルムSでスマートボーイを本命にしているのならまだ分かるが、この時期から潜在的にスマートボーイを名馬と認めていたのかもしれない。これを書くために過去の予想を見ていて思い出したのであるが。ちなみに02年のエルムSでこのマリーンSと同じ買い目を買っていれば1点的中だった。


2000/11/19
マイルチャンピオンシップ(GI) 芝1600m
「マイルチャンピオンシップは(武豊以外なら)1番人気が連に絡む」ということでブラックホークを本命。しかし、前のレースでダイタクリーヴァに騎乗予定だった高橋亮騎手が落馬して、ダイタクリーヴァは安藤克己騎手に乗り替わりに。鞍上がアンカツに替わると発表になった瞬間からダイタクリーヴァのオッズは見る見る下がって行く。さすがアンカツ効果。最終的に1番人気はダイタクリーヴァ。そしてそのダイタクリーヴァが2着になったが、我が予想は外れ。ちゃんと1番人気が連に絡んでいるのに・・・。かといってアグネスデジタルが買えたかというと・・・。印入っていないし。


2000/11/26
ジャパンカップ(GI) 芝2400m
この日私は東京競馬場の来賓席に招待されていた。当然このレースも来賓席で観戦していた。テイエムオペラオーが勝ったが、2着はファンタスティックライトだろう。2着3着が際どかったが、体勢はどう見てもファンタスティックライトだった。「獲った」と思ってガッツポーズ。しかし数分後・・・。2着はメイショウドトウだというアナウンスが。がっくり来てその場に座り込んでしまった。ここが来賓席という特殊なシチュエーションじゃなければぶっ倒れていたところだった。この結果はかなりダメージがデカかった。某友人Kはオペラオー-ドトウの馬連1点勝負だったのにファンタスティックライトが2着だと思っていたらしいし。今思い出してもあれは明らかにファンタスティックライトが2着に見えたのだが・・・。


2001/5/27
東京優駿(日本ダービー)(GI) 芝2400m
2年連続のダービー的中である。しかも1点でスパッと決まった。府中の2400mといえばトニービンなのだが、勝ち馬ジャングルポケットは初年度産駒ウイニングチケット以来のトニービン産駒によるダービー制覇。クロフネが1番人気確実と思っている人もいたが、結局ジャングルポケットが1番人気。そのクロフネをスパッと切っての的中だけに会心の的中である。クロフネを切るとしたらこの馬連1点しか選択肢が無かったわけだが、とにかく1点でダービー的中だ。以前から注目していた騎手角田晃一がダービージョッキーとなったのも嬉しい。


2001/10/21
菊花賞(GI) 芝3000m
ダンツフレーム、マンハッタンカフェ、ジャングルポケットの馬連ボックス。この日は用事があったのだが、レースが終わったばかりの時間にWINS立川へ。WINSでモニターを見たら菊花賞の着順掲示板が表示されている。1着は2番で2着は10番の馬らしい。2番はマンハッタンカフェだった筈だ。そして10番は確かダンツフレームだよな。これで的中かな。と思ったが配当が発表になると馬連4万馬券。マンハッタンカフェにダンツフレームの組み合わせでこんなに付くはずがない。手持ちの新聞の馬柱を見たら「10:マイネルデスポット」と書いてある。1着はマンハッタンカフェだったが、2着がこんな伏兵馬だとは・・・。菊がこんなに荒れていいのかよ。今では菊も荒れるレースの一つとなったが、あの当時は菊と言えば堅いレースというイメージが強かったのに・・・。この頃から菊は荒れる傾向になってきたんだよな。


2001/12/2
阪神ジュベナイルフィリーズ(GI) 芝1600m
この予想では、いや、私の馬券生活でも初となる「GIで万券的中」である。先行馬にとって有利な内枠。そして日本ではこの時点であまり名が知られていなかったヨーロッパの一流ジョッキー・ファロンが騎乗とおいしい条件のアローキャリーを本命にしたら、2着に来て250倍が的中。この時点ではその馬が次の年の桜花賞まで勝ってしまうとは思っていなかった。阪神のマイルは得意なのだろう。


2002/8/18
札幌記念(GII) 芝2000m
この日は札幌遠征中だった。そして電車の中でノートPCを広げて予想の原稿を書いていた。そこにはテイエムオーシャンを頭にした馬単流しでトウカイポイントも流しの相手の中に入れていた。しかし、ホテルに着いて予想を清書してアップしようとすると、鞄の中にノートPCが見あたらない。電車の中に置き忘れたらしい。そしてこういう時に限ってその予想が的中。2万馬券を当てたのだが予想を公開できないなんて。ノートPCは札幌駅で預かってくれていたので無事に取り戻したが、予想は公開できなかった。


2002/10/13
秋華賞(GI) 芝2000m
このレースの数日前に関西在住の友人Tと電話で話していたら「関西のスポーツ新聞に掲載されている細江純子の予想はよく外れることで有名だ」と言っていた。それで、その細江予想を携帯にメールしてもらうことにした。私がホームページで公開したでは◎ファインモーションから○サクラヴィクトリア、▲シアリアスバイオ、△ニシノハナグルマへの流しである。しかしレース当日のT氏からのメールを見ると細江予想でファインモーション−サクラヴィクトリアが含まれていたので、その買い目の馬券は買わないことにした(配当も安かったし)。そうしたら、見事にホームページに書いた◎−○で決まる。そして私の手元にはその組み合わせの馬券は無い。しかもファインモーション−シアリアスバイオは細江予想とかぶっているものの買っていた。シアリアスバイオがもうちょっと頑張ってくれれば私も細江純子さんも共に的中していたところなのに・・・。というか細江予想を読んでなかったら的中したのに・・・


2002/12/21
中山大障害(GI) 芝4100m
マイネルユニバースからギルデッドエージ、メジロライデン、テルテルボウズに流す馬券が中心の予想。大竹柵でメジロライデンが落馬したが、そのあおりで本命マイネルユニバースも落馬してしまった。この時点で私の馬券のハズレは決定だったが、さらに道中でテルテルボウズも落馬してしまった。4頭買ってそのうち3頭が落馬。残りの1頭ギルデッドエージは勝っているというのに・・・。


2003/1/26
平安S(GIII) ダ1800m
10年間のクライマックスと言っていいレース。ダート1800mの巧者スマートボーイを本命に。そして「危険な人気馬」以外全てに馬単で流したら見事にスマートボーイ−クーリンガーで決まる。この組み合わせなら5〜6万馬券ぐらいだと思っていたのだが、配当を聞くと21万馬券であった。実馬券は200円買っていたので42万円の儲けだ。この日の収支もプラス40万円を超えていた。
この時に競馬のお時間の表紙に載せた「ひとこと」を引用すると、
(1/27) 「気合いは府中から京都に届く」
平安S。最後の直線本命スマートボーイが逃げていてヒモにしていたクーリンガーが2番手。
そのまま、そのまま、そのままああああああ
近くにいたオッサンが「叫ばなくてもそのまま決まるって」と呆れていた。
というわけで馬単21万馬券が的中した。
生涯最高配当を更新。ありがとうスマートボーイ、そしてクーリンガー。

そして翌年優駿エッセイに応募し1次選考を通過した作品「府中の西門前」でもこの日のことは大々的に取り上げた。このおかげで1次選考を通過したのかもしれない。10年間で最も思い出深いレースだった。


2003/5/5
天皇賞(春)(GI) 芝3200m
ゴールデンウィークということもあってか1999年〜2002年にかけて毎年春天の時期は淀まで遠征に行っていた。そして見事にハズレ続けた。しかし、この年は5年ぶりに「生で観戦しない春天」だった。春天と相性のいい前年の菊花賞馬(ヒシミラクル)から流し、相手には春天と相性のいいリアルシャダイ産駒(サンライズジェガー)を押さえておいた。そして見事に万馬券的中。私が淀にいかなければこんなもん(なのか?)。せっかくだから淀まで見に行けば良かったのか。堅いと言われ続けた春天で万馬券的中である。淀までの交通費を軽く稼いだ筈のに、何故かそこに私はいなかった。


2003/6/29
宝塚記念(GI) 芝2200m
春天を征し、私に万馬券をプレゼントしたヒシミラクルであるが、宝塚記念前日発売午前10時現在のオッズは5倍前後。この数字が当日の競馬新聞に前売りオッズとして掲載されていた。春天を勝っているとはいえ距離が短くなる宝塚で人気になるようじゃさすがに買えない。それほど人気にならなければ押さえておくのだが、単勝5倍前後というオッズなら迷わず「消し」である。そしてツルマルボーイを軸に馬連勝負。
しかし、ヒシミラクルの約5倍という低配当には裏があった。前日の午前9時半ごろヒシミラクルの単勝を1200万円買ったサラリーマン風の中年男がいたらしいのだ。そのせいでヒシミラクルの単勝オッズが一気に安くなっていたらしい。
私がヒシミラクルを切って買った馬券はツルマルボーイからの馬連流し馬券。そして結果は、ツルマルボーイが見事に2着に来たが、勝ったのは問題のヒシミラクルだった。単勝がまともなオッズを付けていたら押さえておいた筈だったのに…。まともならとれた馬券だけにかなり悔しい。そのサラリーマン風の中年男には私的年度代表馬の特別賞として「年度代表馬券師」の称号が与えられた。といってもどこの誰だか知らない(けれど誰もがみんな知っている)月光仮面のおじさんのような方なので賞品の贈りようがないのだが(賞品はもちろんこの時のハズレ馬券だからいらんか(爆))。


2003/12/14
朝日杯フューチュリティS(GI) 芝1600m
この時香港国際カップを観るために香港に遠征していた。このレースは前日発売でPATで買っていた。メイショウボーラーを軸にして的中していたが、リアルタイムでは知る由もなかった。この時間私は沙田競馬場で大惨敗を喫していたのだ。日本のレース結果まではわからない。ノーホーラで1500香港ドルを失う。その後マカオまで直行してカジノで1000香港ドルは取り戻した。このレースの結果を知ったのは夜中に香港に戻りホテルでインターネットに繋いだ時だった。何か当たってるらしい。香港なんかいかずにおとなしく日本で馬券を買っていたほうがよかったのか。この日トータルのギャンブル成績は日本円に換算するとちょい浮き程度。ちなみにこの約1年後の朝日杯の時も香港遠征に行き朝日杯は的中していた(ただしその時はマカオで大惨敗を喫したが・・・)。


2004/5/23
オークス(GI) 芝2400m
福島で未勝利戦を勝っただけの馬。そんな馬に▲が打たれている。そう、それは私の一口出資馬シルキーフレンドだ。1/2の抽選をくぐり抜けてのオークス出走。しかし血統的にも当歳時から期待していた馬だけにこの印となった。記念すべき私の出資馬初のGI出走でもあるし。
しかし、完全な親バカだった。18頭立て18番枠18着。もうちょいやれると思ったのだが・・・。見せ場すらなく惨敗。レース後の私のコメントには「馬群からちぎられた情けない惨敗ではなかっただけ良しとしよう。」と諦めムードの言葉が書かれている。ちなみにこれを書いている2005/10/11現在未だに1勝馬。


2004/5/30
日本ダービー(GI) 芝2400m
NHKマイルCの予想では「キングカメハメハの人気は異常である」などとカイタノだが、見事にそのキングカメハメハに勝たれる。NHKマイルCは鉄板と信じていたのだが、その鉄板はベニヤ板よりも脆く崩れ去った。しかし、そのキングカメハメハがダービーでは本命。そして見事にNHKマイルで負けたカネを取り戻した。コスモバルクが人気を集めていたおかげで配当もそれなりについたし馬券は快勝。3年ぶりにダービー的中の美酒に酔った。


2004/12/19
CBC賞(GII) 芝1200m
スプリント戦では出てくるたびに本命にしているゴールデンロドリゴ。惨敗してくれると諦めも付くのだがいつも人気薄ながら掲示板(の下の方)に載っているので、レースが終わるたびに「次こそは」と思ってしまう。そして次も人気薄なので本命にするとまたしても惜敗。そんなもどかしい馬でも買い続けた甲斐があったのがこのレース。例によって全然人気になっていない。馬連+ワイド総流し勝負!そして見事に2着に突っ込んでくる。「2着」というのがこの馬のこの馬らしいところではあるが、馬連+ワイド2点的中だ。しかも3点の買い目が的中し、そのうち2点が万馬券。この予想では初のダブル万馬券的中だ!
ゴールデンロドリゴは後ろからいく馬と思っていたに、この日の鞍上赤木騎手は番手を追走した。それでは勝ち目がない馬と思っていたので道中では「赤木バカヤロー!」と連発したが、赤木騎手には申し訳ないことをした。むしろこの馬の新たな面を引き出し好走を導いた好騎乗だった。


2004/12/26
有馬記念(GI) 芝2500m
この年の中央競馬では競馬ファン待望の3連単が発売となった。この有馬記念は軸は堅そうだが、こういうときこそ3連単である。そしてこのレースではその3連単で2万馬券が的中した。まさに3連単さまさまである。なのだが、できれば2着と3着が入れ替わって欲しかった。シルクフェイマス(3着)に期待していたので1、3着の馬連も押さえていたのに・・・。でもこれが前年までなら私の必殺技である馬連1着3着(ロブロイの2倍の単勝を押さえてたのはご愛敬)炸裂で終わった筈だったが、3連単のおかげで大的中だ。シルクジャスティスの時以来の有馬的中。3連単万歳!


2005/5/29
日本ダービー(GI) 芝2400m
この年久々に府中に引っ越した。3年半ぶりの復帰。しかも以前住んでいた場所より競馬場に近い。引っ越しはダービーの直前だった。引っ越したばかりの部屋でPAT投票。中京2レース未勝利戦。15番人気チーフシャトーから馬連で流した。そして7番人気マイネルジェダイトが勝ちチーフシャトーは2着。何と私の府中復帰を祝うかのように13万馬券的中。気をよくして競馬場に向かった。ダービーの予想には 500pts x 16点 (8000pts) とカイタノだが、実際の馬券は 1000円 x 16点 (16000円) も買っていた。もちろん朝の的中で資金に余裕ができたからである。そして見事に3連単が的中。(完全ではないものの)転がしで大儲けだ!そんなことはレース後コメントには書かなかったのだが、10周年記念企画ということで今ここで公表してしまおう。それにしても6年間で4的中とダービーは私にとって相性のいいレースだ。真剣に検討すればこんなもんよ。その真剣さが普段は発揮できずに惨敗を繰り返しているというのが情けないのだが・・・。


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